獣人のよろずやさん

京衛武百十

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第二部

単なる<綺麗事>

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『被害者や遺族の気持ちを考えろ!!』

死刑の話になれば必ずそういう言葉が飛び交います。でも私はそれを声高に叫ぶ人が本当に<被害者や遺族の気持ち>を考えているとは、到底、思えないのです。

なにしろ、敢えて加害者の死刑を望まなかった遺族がいると、今度は、

『薄情者!』

『被害者の無念を考えろ!』

『これはあれだ、自分で始末する手間が省けたからだ』

等々、遺族を攻撃する言葉が溢れる。

なぜですか?

『遺族の気持ちを考えべき』

ではないのですか? 遺族の気持ちを考えるべきだと言うのなら、なぜ、敢えて死刑を望まなかった遺族の気持ちを考えないのですか? なぜ遺族まで攻撃するのですか?

それは結局、

『加害者が死刑になることで自分の憂さを晴らしたい』

からではないのですか?

はっきり言いましょう。

『合法的に人が死ぬところを見たいからではないのですか?』

と。

『死刑執行のスイッチを自分で押してやっていいぞ!』

みたいなことを言う人は、つまり、

『合法的に人を殺したい』

だけではないのですか?

軍人である私は、任務内でテロリストを死なせることがあっても罪には問われません。

『あくまで任務上で、殺意を持って殺害したのではない』

という前提での話ですが。

『殺意がない』からこそ『殺人には当たらない』ということで、私達軍人は免責されるのです。

翻れば、

『殺意を持って命を奪うからこそテロや殺人は赦されない』

のだとも言える。私達まで殺意の下にテロリストを殺害していたのでは、

『私達はテロリストとは違う!』

と胸を張って言えなくなる。私達のように、相手を死なせることもある任務についている者達に、

『自分達の行為は<殺人>ではないという明確な認識をもたらすため』

にも、

『殺意を持って相手を殺害する』

という行為との確実な差別化が必要だったのです。

そして、

<合法的に殺人を楽しもうとする快楽殺人者>

に、『軍人になれば人を殺せる』という形で殺人の機会を与えないためにも。



その一方で、もちろん、被害者や遺族の無念も考えなければいけないでしょう。そのために、犯罪被害者や遺族への支援制度の拡充も図られてきました。

特に、

『加害者を殺してやりたいけど殺せない』

という部分について、徹底したケアが行われています。その際にもメイトギアは活かされている。何時間でも何日でも、何年でも、被害者や遺族が吐き出す<想い>に耳を傾け寄り添い、ケアマネージャーによるケアが効果を発揮するための下地作りをしてくれるのです。

『被害者や遺族の気持ちを考えろ!!』

と感情論を口にするのは簡単です。でも、たとえ死刑制度があっても、先だって触れた<ネットリンチによる殺人とその被害への復讐>の事例でも分かるとおり、すべての被害者や遺族が『加害者を殺す』ことはできないんです。

その事実から目を背けていては、『被害者や遺族の気持ちを考えろ!!』という言葉自体が単なる<綺麗事>になってしまうのです。

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