上 下
244 / 291
命の章

親の間違いを

しおりを挟む
親の間違いを指摘することに対して、世間にはある種のアレルギーのようなものがあると思われる。

何か上手くできなかった時には、

『親だって人間だから』

と言い訳を並べる。

確かに、親とて人間だ。失敗もするし過ちだって犯すだろう。だが、その事実に向き合おうとせずに偉そうに振る舞い、あげく自分の失敗や過ちについて言い逃れようとするのであれば、そんな姿勢を子供が学び取らないと思うのだろうか?

自分の失敗や過ちを誤魔化して隠そうとして、それでバレたら言い逃れようとしてあげく逆ギレしたりするようなその姿勢を、子供が真似をすると思わないのだろうか?

イジメをしておきながら、『イジメられる方にも原因がある!』と言い逃れようとするような人間になりはしないだろうか?

それどころか、自身の失敗や過ちを無かったことにしようとして人の命まで奪おうとするような人間になりはしないだろうか?

また、我が子が犯した過ちと向き合おうとせずに黙認してきておいていよいよどうしようもなくなってから『殺す』などという、途中が何もない極端な手段を取るような親もいる。そんな親の子供だから真っ当に育たなかったのではないのか?

それを、

『子供が悪い! 親が可哀想だ』

などと、甘えが過ぎないか?

まあ、確かにそういう事例については、周囲の協力が得られなかったりという部分で同情すべき点はあったりもするかもしれないものの、アオは、パワハラで部下を使い潰す兄の行為が今後事件化するようなことがあったとしても、それで自身の両親が何らかの損害を被るとしても、擁護する気は毛頭なかった。

それどころか、既に、関係省庁に兄の行為について通報さえしている。今のところはまだ反応はないようだが。

なぜ兄の行為を知っているのかと言えば、自身のパワハラについて、さくらとも面識のある知人に酒の席で自慢げに吹聴していたからである。

「やっぱり<ゆとり>ってのはダメだな。ちょっと厳しいことを言っただけですぐ精神をやられる。そんなのは会社に置いてても害悪なだけだから、さっさと潰してやるに限るな」

などと言っていたそうだ。自身も<ゆとり教育を受けていた世代>であるにも拘わらずだ。その上で、どうやって追い込んでいったかを詳細に語ったのだという。

よくそんな<犯罪自慢>ができるものだと思うかもしれないが、本人は何も悪いことをしていると思っていないどころか会社のためになることをしているという認識なので、気にならないのだろう。

しかし、実を言えば、アオの兄が国家公務員のエリートコースを捨てて民間企業に転職したのは、自身も、所属していた省庁内でのパワハラと判断される可能性がある上司の行為に嫌気がさしていたところに、友人が役員を務める現在の企業に役員待遇で誘われたことで渡りに船とばかりに乗ったからだというのに。

自身がパワハラから逃げておきながら部下に対してはパワハラをするのだから、本当に自分を省みるということができない人間なのだということだろう。そういう部分も両親にそっくりだ。

その点、アオは出逢いに恵まれたこともあり、自らを省みた上で自身のダメな部分と向き合うことができるようになった。そうして、両親や兄を反面教師とすることができるようになったのである。

しおりを挟む

処理中です...