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ほのぼのの章

取引相手の選定

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エンディミオンは冷酷ではあるが、決して、道理が通じない<怪物>ではない。彼自身が持っている道理と人間のそれとは少なからず乖離していて、うまく噛み合わないだけだ。

ぞの<ズレ>を、さくらが上手くとりなしてくれていた。

だからこそ、こうして、一件、ほのぼのとした光景が繰り広げられることになる。

アオが普段から言っていることには、こういうものもある。

「ほのぼの系のフィクションでも、そこに描かれていないだけで、過酷な現実という背景はあると思う。意図的にそういうものを切り捨てて、ただほのぼのとした部分を前面に押し出してるに過ぎん。

そういったフィクションを望むのはいい。好きにすればいいと思う。

だが、敢えてそうではない部分に触れようと試みる者に対してまで自分の好みを押し付けようとするのは、ただのクレーマーだろうな。

とんこつ系のこってりしたラーメンが売りのラーメン屋に来ておいて、

『自分はあっさりした塩ラーメンが好きだから、この店でも塩ラーメンに力を入れるべきだ』

とかヌかす輩と同類だろう。売り手側の狙いを、自分の好みに合わせようとして難癖をつけるような輩を、私は<客>だとは思わない。

この世には、フィクションもラーメン屋も、ゴマンとある。その中から自分の好みに合うものを選べばいいだけだろうに、なぜ自分の好みを押し付ける?

ただの取引相手にすぎん奴に、そんな権利が本当にあるとでも思うのか? 売り手側にも買い手を選ぶ権利はあるんだぞ? 

と言うか、<取引相手を選ぶ権利>と言うべきか。

取引というものは、双方の合意によって成されるものだ。

ラーメン店はラーメンを提供することによって対価を得る。

客側は、対価を支払うことによってラーメンという実を得る。

あくまで対等な取引だ。

取引される<モノ>に虚偽があったりすれば、つまり、ラーメンと言いつつ実はラーメンでないものを提供したり、およそ食用には適さないものを提供したとあればそれは問題だろう。

だが、とんこつラーメンを売りにしている店に来ておいて『自分は塩ラーメンがいい』などと、それは取引相手の選定がそもそも間違っているだろうが。

<塩ラーメンを食べたいと思ってる相手>とは、<とんこつラーメンを売りにしているラーメン店>は取引をしないという選択だってできるんだ。

<客>という立場に胡坐をかいて甘やかしてもらえることをいつまでも期待してるだけじゃ、真っ当な取引相手として成長はできんだろうな」

一見すると関係のない話のように思えるかもしれないが、アオもさくらも、そういう現実を理解しているからこそ、それに振り回されることなく穏やかでいられるということなのだろう。

ほのぼのでいるためには、ほのぼのではない現実と適切に付き合う必要があるのかもしれない。

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