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ナイトストーカーの章

ストーカー

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『困ったなあ……』

アオと一緒に店を出て帰路につきながらも、ミハエルは内心、そんなことを思っていた。

例の女性が、明らかに二人の後をつけていたからである。

実はこれまでにも何度もあったことだった。そして大抵が、ミハエルがその場で暮らすことを諦める結果となった。

フィクション等においては、何らかの対処をしてストーカーを懲らしめれば諦めて<万事解決>となることが多いだろう。特によく見られるのが、

『何らかの形で<痛い目>に遭わせて懲りさせる』

というものだと思われる。

しかし現実では、そう上手くはいかないことが多い。

それがもし本当に効果がある解決法であるなら、どうして何年もストーカーに悩まされたり、大きな事件になってしまうケースがあるのだろうか?

それは、フィクションの中で描かれている部分では綺麗に解決したかのように見えるものの、その場では確かにストーカーは懲りているものの、『喉元過ぎればなんとやら』で、結局はまた元の木阿弥ということを繰り替えすのが多いからではないだろうか。

『だったら、もう二度とそんな気を起こさないように徹底的に痛めつければいいだろ』

と言うかもしれないが、そんな素人考えでは上手くいかないからこそ解決が難しいのではないだろうか。その程度の考えが本当に通用するなら、ストーカー被害などとうの昔に根絶している筈である。

けれど実際にはそうならない。

なぜか?

ストーカーに限らず、犯罪を犯す者の多くには、<認識の歪み>が生じているという。

自身に突き付けられた現実を、自身に都合の良いものへと認識を書き換えてしまうというものだ。

『嫌よ嫌よも好きのうち』

などというものを真に受けてしまったりするのもそれなのだろう。

相手が嫌がっているのを、

『自分への好意の裏返しに違いない』

などと都合よく解釈する、ということがよく行われているらしい。

『無理矢理にでも事に及んでしまえば、女性は自分のことを好きになるハズだ』

等の、成人向けのフィクションなどでも定番の展開を真に受ける者も少なくないようだ。

だが現実はそうではない。もしそんな戯言が事実なら、レイプ被害を訴える女性など存在しないハズである。

レイプ被害を訴え出た女性を貶めるような発言をする者も、おそらく<認識の歪み>が生じているものと思われる。

それが事実かどうかの確認もしないうちから、

『どうせ自分から誘ったんだろ』

『ハニートラップだ』

などという発言がそうだ。

自分はその現場にいて、事実を確認したとでもいうのだろうか。確認していないことをさも事実のように言うことも、認識が歪んでいるからではないだろうか。

そういう者達は、

『自分が間違っている』

ということを認識できないのだ。だから痛い目に遭わされたとしても、それはあくまでその者にとっては<理不尽>でしかなく、認識を改めるどころかかえって、

『自分こそが正しい』

と強硬に信じ込むことになるのかもしれない。

ミハエルは、長い人生経験の中で、それを何度も思い知らされてきたのだった。

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