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邂逅の章

その危険を

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『彼をただ排除するというのは、果たして道理に適っているかどうか』

それが、アオの結論だった。

『危険だから排除する』

というだけでは、果たして<何>を<どこまで>排除すればいいのか分からなくなるからである。

今しがたも言ったとおり、交通事故の危険性があるからといって自動車を排除することは、今の社会では無理がある。現実的ではない。

『危険だから』『気に食わないから』で安易に排除しようとする者が多いが、そんなことをしていては、同じ理由で自分が排除される側になった時にそれを甘んじて受け入れられるのだろうか?

それとも、

『自分は排除される側になんかならない』

などと、それこそ何の根拠もなく信じ込んでいるのだろうか?

『匿名の陰に隠れて悪口雑言垂れ流し放題』などという人間に価値があると、何があっても排除される側にはならないと、本気で思っているのだろうか。

むしろ、その危険を感じているからこそ<匿名>というものの陰に隠れているのではないのか?

自分がすべて正しく、誰からも排除されるような謂れはないと本気で思っているのなら、なぜ堂々と表に出てこない?

自分が排除されることを恐れるからこそ、匿名なのではないのか?

などということもあり、

「まあ、匿名に隠れてふざけた真似をしてる連中が排除されないのであれば、エンディミオンも排除される謂れはないと私は思うんだ」

と微笑んだ。

「なにしろ彼は、お前を守ってくれてるんだろう? だったらよっぽど値打ちがあると思うぞ。有象無象共よりも」

などと言うアオに、さくらは苦笑いを浮かべつつ、

「ですね」

と応えた。



こうして、何の決着も付かないままに、対策も取らないままに、うやむやと言う形で、ミハエルとエンディミオンの邂逅は果たされることになったのである。

お互いに馴れ合わず、近付きすぎず、距離と緊張感を保ちつつも決定的には衝突しない。

人間関係や、例えば国レベルでの関わり合いでもあることなのではないだろうか。お互いに快く思ってはいないものの、敢えて衝突は避け、ただ何となくどちらも存続を続ける。

実はこういう形て曖昧なままに置くというのは、現実には割とよくあることの筈なのだ。

利害が決定的に対立している以上、白黒つけようとすれば互いに譲れなくなる。ぶつかり合えばお互いに無事では済まない。

だからこそはっきりさせずに『なんとなく』で留め置く。

さくらは言う。

「読者ははっきりと決着がつくことを望む方が大半です。だから売れるものをと思えば、望んではいなくても白黒つける必要が出てくる。

私は編集者として作品の中でははっきりさせることを勧めますけど、先生とミハエル君が曖昧なままでいいとおっしゃってくれたことには感謝したいと思っています」

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