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邂逅の章

読者を選ぶ

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フィクションの中では、どんな<事件>や<出来事>でも、何らかの結末を得てある種の<解決>がなされるものだろう。

しかし現実においては、そんな風に綺麗に決着がつくことは滅多にないのではないだろうか。

事件の場合、たとえ裁判などで判決が出たとしても、『判決が出た』という結末を迎えたとしても、実はそれで綺麗にケリがつくことはない。

被告、または原告、あるいはその両方共に不満が残り、その不満が火種としてくすぶり続けるのはむしろ普通のことではないか?

そしてその火種が次の<事件>へと繋がることも決して珍しいことではないはずだ。

フィクションはあくまで、一連の事象の中でキリのいい部分だけを切り取って、綺麗に決着がついたかのように見せかけているだけに過ぎない。

<感動のフィナーレ>の後に何か物語が台無しになるようなことが起こったとしても描かれることはまずないのだ。

反面、現実ではそんなうまい話はない。

永遠の愛を誓い、めでたく結ばれたカップルがほんの数年後には見る影もなく冷め切って別れてしまうということもよくある話ではないか?

<綺麗な結末>がもてはやされるのは、それが現実ではまず起こりえないことだから、フィクションにそれを求めてしまうのだろう。

ミハエルとエンディミオンの件も、二人が戦ってミハエルがエンディミオンを退けたり、または二人の間に友情のようなものが芽生えて大団円、というのが望まれる結末なのかもしれない。

だが、そんな風に上手く事が運ぶような簡単なものではないのだ。吸血鬼とバンパイアハンター、特にダンピールが演じるそれとの確執は、そのように生易しいものではないのである。

むしろ凄惨な結末を迎え、それが故にまた新たな不幸が生まれるという、

『誰一人救われない結果に終わる』

ことが当然というものなのだ。

けれどその中でも最も痛みの少ない形での幕引きを、ミハエルは望んでいた。そのためには、

『敢えて決着は付けない』

という選択も有り得るのだった。

それはきっと、フィクション的には全く盛り上がらず面白味にも欠ける展開だろう。いわゆる『だらだら』とか『ぐだぐだ』とか言われるようなものであると思われる。

さりとて、いかにもフィクション的な<お約束の展開>や結末に違和感を覚える者も、数は少ないにしてもいるのではないだろうか。

実はアオ自身がそういう<読者>であり<視聴者>だった。それが故に、

『自分が納得できる物語を自分で描く』

ことを目的に、創作を始めたのだ。

自分の思う通りの展開ではない物語に難癖をつけるよりも、

『自分で書いた方が早いし確実だ』

と考えて。

そのため、彼女の描くそれは非常に独特でクセが強く、『読者を選ぶ』とはこれまでにも言われてきたことなのだった。

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