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邂逅の章

違うということを認めないと

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『違うということを認めないと、徹底的に排除するしかなくなる』

それは、アオもかねてから感じていたことだった。

さくらと話した時にも、こんなことを言っている。

「近頃のアニメの視聴者、に限ったことじゃないのかもしれないが、自分の趣味や感性に合わないキャラクターなどがいると、『気持ち悪い』だの『不愉快』だの言って徹底的に叩いて排除しようとする。

まったく、『お前は何様だ?』って話だよ。『気持ち悪い』だの『不愉快』だの、そんなことを、不特定多数の人間が見てるところで臆面もなく発信するお前が『気持ち悪』くて『不愉快』だとなぜ気付かんのだろうな。

たかだかフィクションの中のキャラクターの振る舞いにムキになって排除しようとするその性根が気持ち悪い。

お前の趣味や感性に合わないというだけでそれは存在しちゃいけないものなのか? 自分が他人からそんな風に言われれば被害者面するクセに。

自分がされて嫌なことを他人には平然とするその性根。まったくもって度し難い…!」

と。

この時、さくらは困ったような表情を見せるだけだったが、実はさくら自身も同じように感じてはいた。

近頃とみに、自分の思い通りにならなければやたらと大きな声を上げて他人を攻撃する読者や視聴者が増えた気がすると。

違っているからこそ多様性が担保され、様々な作品が生み出されるというのに、自分の感性に合わないものは排除していいと考えていると思しき読者や視聴者が存在感を示している現状に、懸念も覚えていたのだ。

そういう読者や視聴者に遠慮して、忖度して、無難な作品作りに終始していると思しき現状も、確かに少なからずあるだろう。

しかしだからと言って、

『お金を出して買ってもらえるもの』

を作らなければいけない出版社側の人間としては、アオの言うことに共感も覚えつつも、そういう読者や視聴者を強く批判することもできないでいたのである。

『商売って難しいね……』

とも、口には出さなかったが思っていたりもした。

アオの言う通り、そういう読者や視聴者の声が作品作りの幅を狭めているということは否めない。出版社やアニメ制作会社がそういう読者や視聴者の<声>を恐れて新しいことに挑戦しなくなってきていることも実感として感じていた。

売らなければいけないが故に。

だからこそ、アオのような作家には頑張ってほしいという想いもある。

無難なつまらないラノベや漫画やアニメが増えたというのならば、それはひとえに読者や視聴者の度量の問題でもあるのだろう。

自分の趣味に合わない、好みに合わないものでも甘んじて享受しろと言っているのではない。自分の趣味や好みに合わないからといって攻撃していては、結果として面白い作品も生まれにくくなるという、自分で自分の首を絞めることにもなりかねないというのも実感としてあったのだった。

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