460 / 562
春休みの章
僥倖
しおりを挟む
子供にとって実の親が、
<決して喪いたくない存在>
であれば、命の大切さなどいちいち口煩く説かなくとも少し想像するだけで理解できるだろうに、わざわざ子供からの信頼を損ねるような真似をしておいて、
『命の大切さを説いてやってるのに子供がそれを理解しようとしない』
などと泣き言を並べるような親の下に生まれた子供は大変だな。
それはまさに、藍繪正真のことだ。
だが、だからといってそれを理由に他人の命を蔑ろにするのなら、自身も人間社会で疎まれて疎外され、場合によっては排除の対象になるということも理解しなければいけなかったなあ?
もっとも、こいつの場合はあくまで私の物に手を出そうとしたことで<神罰>が下っただけだが。
なに?
『こいつに罰を下すために罪もない少女を犠牲にしたのか?』
だと?
知らんな。私がやったのは、こいつをここに転生させて、<巻き戻り>の力を与えて、当座の金をくれてやっただけだ。他のことは私の関知するところではない。
私が意図していたのは、藍繪正真ごときモヤシが命の安いこの世界に死ぬこともできない体で放り込まれれば何度でも死の苦しみを味わうことになるだろうなというだけのことだ。
トレアが死んだのも、あくまで人間同士の諍いの結果だ。それについては知ったことではないとかねてより言っておいたではないか。
少女が死んだことで、
『大切な者を喪う苦しみ』
を藍繪正真が味わうことになったのは、望外の僥倖だ。実に甘美だったぞ。
お前人間も、<神>とか呼ぶものの身勝手さ、無慈悲さ、理不尽さ、不条理さはよく知っているだろうが。
トレアの亡骸を自身が掘った穴に収めたものの、藍繪正真はそれに土をかぶせて埋めてしまうことができなかった。
『もし生き返ったら…それで土に埋まってて息ができなかったらまた死ぬかもしれないもんな。それは可哀想だよな……』
とか考えてな。
死んだ人間が生き返るなどと、有り得ないことを夢想するあたり、こいつもただの人間だということだ。
たまに死んだと思われていた人間が生き返ったとされる事例は、死んだという判断そのものがただの誤診でしかない。
死んだ人間は、私達のような存在が戯れに巻き戻したりせん限り、生き返ることはないのだ。
人間の生命を維持するのに必要な組織や器官が不可逆的な変化を起こしてしまうと、それを撒き戻す術は、今の人間にはない。
人間にとって死は絶対だ。生から死への変化はあっても、逆はない。
故に命は何ものにも代えがたいものなんだろう?
それを理解せんから命を安く見る。命を軽く見ている人間が死んだとて面白みに欠けるのだ。
そういう意味では、トレアの死は甘露であったな。
こうして藍繪正真は、トレアの顔の部分には土をかぶせず、しかしそのまま晒しておくのも忍びなく、周囲の枯れ草で覆っただけで、ふらふらとその場を立ち去ったのだった。
<決して喪いたくない存在>
であれば、命の大切さなどいちいち口煩く説かなくとも少し想像するだけで理解できるだろうに、わざわざ子供からの信頼を損ねるような真似をしておいて、
『命の大切さを説いてやってるのに子供がそれを理解しようとしない』
などと泣き言を並べるような親の下に生まれた子供は大変だな。
それはまさに、藍繪正真のことだ。
だが、だからといってそれを理由に他人の命を蔑ろにするのなら、自身も人間社会で疎まれて疎外され、場合によっては排除の対象になるということも理解しなければいけなかったなあ?
もっとも、こいつの場合はあくまで私の物に手を出そうとしたことで<神罰>が下っただけだが。
なに?
『こいつに罰を下すために罪もない少女を犠牲にしたのか?』
だと?
知らんな。私がやったのは、こいつをここに転生させて、<巻き戻り>の力を与えて、当座の金をくれてやっただけだ。他のことは私の関知するところではない。
私が意図していたのは、藍繪正真ごときモヤシが命の安いこの世界に死ぬこともできない体で放り込まれれば何度でも死の苦しみを味わうことになるだろうなというだけのことだ。
トレアが死んだのも、あくまで人間同士の諍いの結果だ。それについては知ったことではないとかねてより言っておいたではないか。
少女が死んだことで、
『大切な者を喪う苦しみ』
を藍繪正真が味わうことになったのは、望外の僥倖だ。実に甘美だったぞ。
お前人間も、<神>とか呼ぶものの身勝手さ、無慈悲さ、理不尽さ、不条理さはよく知っているだろうが。
トレアの亡骸を自身が掘った穴に収めたものの、藍繪正真はそれに土をかぶせて埋めてしまうことができなかった。
『もし生き返ったら…それで土に埋まってて息ができなかったらまた死ぬかもしれないもんな。それは可哀想だよな……』
とか考えてな。
死んだ人間が生き返るなどと、有り得ないことを夢想するあたり、こいつもただの人間だということだ。
たまに死んだと思われていた人間が生き返ったとされる事例は、死んだという判断そのものがただの誤診でしかない。
死んだ人間は、私達のような存在が戯れに巻き戻したりせん限り、生き返ることはないのだ。
人間の生命を維持するのに必要な組織や器官が不可逆的な変化を起こしてしまうと、それを撒き戻す術は、今の人間にはない。
人間にとって死は絶対だ。生から死への変化はあっても、逆はない。
故に命は何ものにも代えがたいものなんだろう?
それを理解せんから命を安く見る。命を軽く見ている人間が死んだとて面白みに欠けるのだ。
そういう意味では、トレアの死は甘露であったな。
こうして藍繪正真は、トレアの顔の部分には土をかぶせず、しかしそのまま晒しておくのも忍びなく、周囲の枯れ草で覆っただけで、ふらふらとその場を立ち去ったのだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
14
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる