JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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春休みの章

そういうもの

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私は、人間共が言う<神>、いや、<邪神>だ。命を弄びそれを暇潰しと捉えるようなおぞましい存在だ。

そんな私が殺人を予防することを考えるのはおかしいと思うか?

くくく、そんなだから『考えが浅い』と言うのだ。

私は命を弄んでいると言っただろう? それはつまり、ただそこにある命をなぶり殺しにするだけではないのだ。どうにかして必死に生きようとする姿を見ているのも、これはこれで面白いのだ。

『殺人事件を無くす』

などという、およそ生き物の本質に反するような難題に必死になる様子も、見ていて面白いんだよ。

だってそうだろう? 人間以外の動物が、餌を奪い合ったり、縄張りを奪い合ったり、雌を奪い合ったりで自分の同族を殺してしまったからといって人間ほど騒ぐか? その時には『しまった!』みたいな反応を示したとしても、いつまでもそれを引きずるか? 後悔し続けるか?

そんなことをしていたら次に死ぬのは自分じゃないのか?

人間も所詮は動物の一種である以上、同じ人間を殺せてしまっても何の不思議もなかろうが。

人間の場合はあくまで、後付けの理屈として『人間を殺すのは道義に反する』と思い込ませているだけではないか。

正直、人間以外の存在からすれば滑稽極まりないがな。

とは言え、人間は人間同士で助け合わなければ生きていけないひ弱な動物だ。危険な獣がうろつく自然の中に裸で放り出されれば、数日と生きてはいられん奴がほとんどだ。たまに生き延びる奴もいるとしても、そんなものは所詮は例外でしかないしな。

となると、お互いに助け合わなきゃいけないんだから殺し合ってちゃマズいというのも事実だろう。だから『人殺しはいけない!』と思い込むことで自制する。

それ自体は合理的な方法の一つだろうな。思い込むこと、思い込ませることに成功さえすれば。

だが、それ故に失敗するとどうしようもない。止めようがない。だから時折、やらかす奴が出てくる。

となると、思い込ませることに失敗した側には何の責任もないのか?

そうじゃないよな? 実は分かってるよな。

『親が甘やかしたからそんなのに育った』

とか言う奴がいるじゃないか。やらかした本人だけが悪いのなら、親がいくら甘やかそうが関係ないんじゃないのか? ん?

無責任な観察者である私の立場から見るとな、<生来の異常者、不良品>などは存在せんのだ。いるのは、

<育て方を失敗したことで反社会的な行動をとるようになった個体>

だけだ。

なるほど昆虫などを見ていても時折おかしな行動をするのもいるだろう。だが実はそういうのが存在すること自体に意味があるそうだぞ? 異常でも何でもない、<そういうもの>なんだそうだ。

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