JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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冬休みの章

クリスマスイブの降臨

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「くそっ、やっぱり他にも卵を産んでいたか!」

屋上だ。屋上にも奴は卵を産んでいたのだ。それが次々と孵りビルの外側を走る気配を私は感じ取っていた。屋上のドアを破ろうとしたがびくともしない。結界のせいだ。結界を破っている暇はない。

ベニュレクリドゥカニァの幼生体共はビルの外壁を走り、全体に広がっていく。奴の結界だから出入りは自由だ。窓を破りビルの中に雪崩れ込んで、好き勝手に人間を襲い始める。一部の幼生体は十階辺りまで一気に降りてそこでも人間を襲い始めた。

人間達の悲鳴や断末魔がビル内部に響き渡る。まさに阿鼻叫喚というやつだ。それを放っておくわけにもいかん。だが、優先順位から言えば私達が守るべきは玖島楓恋《くじまかれん》である。まずは玖島楓恋の安全の確保が優先される。

「くそっ!!」

貴志騨一成きしだかずしげはそう罵り、走り出そうとする。だが階段など降りていては間に合わんぞ。

「こっちだ!!」

私は貴志騨一成を呼び戻し、エレベーターシャフトに飛び込んでそこから一気に下を目指す。

エレベーターのカゴが見えてくると、貴志騨一成の体を掴み、髪を翼にして広げ、さらに翼の先をシャフトに食い込ませて減速、カゴの屋根に着地すると、手近なドアをこじ開けて外に出た。七階だった。

だがそこももう既に凄まじい惨状だった。食い散らかされた人間の残骸が辺り一面に散らかっている。こいつら、とんでもない食欲だな。私が知っている以上だ。

通りがかった私達に飛び掛かってきた奴を手斧で叩き潰し、吹き抜けから再び飛び降りて一階を目指す。

それこそ人間達の悲鳴と断末魔の叫びが反響する中を、私と貴志騨一茂は落ちていった。

特に、「ママ、ママーっっ!」とか子供の泣き叫ぶ声はことさら耳についた。並の神経では正気を保つことも難しそうだな。

だがその時、私の背筋をぞくりと奔り抜けるものがあった。

『何か来る!?』

このまあまあ強力な結界をものともせず、何者かがここに干渉してきたのだ。それは、私と同格か、限りなくそれに近い存在だった。

「召喚か!?」

思わず声に出ていた。貴志騨一成を掴んで翼を広げ一階に着地した私はその気配を探った。

「!?」

その私の目が、ある一点に釘付けになる。『まさか…』と思ったがそうではなかった。それは実際に起こっていることだったのだ。

「玖島さん…!」

貴志騨一成も私が見つめている方向に視線を向けて、声を出していた。

そう、そこにいたのは間違いなく玖島楓恋だった。いや、正確に言うなら<玖島楓恋だったもの>だが。

大木の幹のように太く、しかしうねうねと常に蠢きながら絡まり合う三本の触手が上に伸び、その根元は山羊を思わせる蹄を生やした足になっていた。その触手に飲み込まれ同化した若い女の姿。紛れもなく玖島楓恋であった。

玖島楓恋の目は私達を見ていたが、どうやらもう人間としての意識は無いようだ。

「レゼヌゥケショネフォオア…か…?」

人間共に分かりやすく言うなら、<千の仔を孕みし森の黒山羊>とも呼ばれるシュブ=ニグラスと同種の存在だ。シュブ=ニグラスがヨグ=ソトースの妻であるとされるのとは違い、こっちはハリハ=ンシュフレフアの妻だがな。

また、見た目がシュブ=ニグラスが産み落としたとされる<黒き仔山羊>に近いので混同されがちだが、あくまでシュブ=ニグラスとほぼ同格の存在である。いわば<姉妹>や<従姉妹>に近いイメージと言えるか。

夫の先兵としてこちらに近付いていたか…?

それを、私と関わって因縁を作ってしまっていた玖島楓恋が顕現させてしまったのだ。

だが、玖島楓恋を依代として顕現したのはそれだけではなさそうだ。おそらく、あれの尋常でない母性がレゼヌゥケショネフォオアと共鳴したのだろう。

その証拠として、レゼヌゥケショネフォオアは次々と<仔>を産み出していた。それは、こいつの母性が高まった時に見られる現象だ。夫であるハリハ=ンシュフレフアが傍にいない時にそれが見られるのは、依代となった人間の影響を受けた場合くらいだからな。

そして、絡まり合った触手の股から産み出され、空中を泳ぐクラゲとでも言うべきその仔らは、ビルの中へと広がっていった。

「玖島さんを放せっ!」

「あ、馬鹿! よせっ!!」

玖島楓恋の姿を見た貴志騨一成が身の程もわきまえず飛び掛かる。私はそれを制しようとしたが、間に合わなかった。レゼヌゥケショネフォオアの仔らは母親を守る為に一斉に貴志騨一成に群がり、見る間にその体を貪り食っていく。

『愚か者め……お前ごときが敵う相手とでも思ったか…』

さすがに私でも、今の影の体では敵う相手ではない。私はただ、仔らに群がられ食われていく貴志騨一成を見守るしかできなかった。

レゼヌゥケショネフォオアとなった玖島楓恋もそうだ。姿こそはまだ残っていても、もはやこいつは人間ではない。

……ない筈だが、既に人間ではなくなった筈の玖島楓恋の目から涙が溢れるのを私は見た。しかも、

『貴志騨…くん…』

と唇が確かに動いたのだ。

「―――――!?」

まさかとは思ったが、それに気付いた私は躊躇しなかった。

「玖島楓恋! 意識をしっかり持て! そいつの意識を受け入れるな!! お前はまだそこにいるのだろう!?」

真っ向からぶつかり合っても勝てる相手ではないが、言霊という形で干渉することはできる。ここは私の縄張りだからな。

レゼヌゥケショネフォオアと言えど私の影響は受ける。特に私と普段からクラブ活動という形で関わっている玖島楓恋だったからこそ完全に支配しきれてなかったのだろう。

「え…? あ、や、やめてぇっっ!!」

私の干渉で急速に意識を取り戻した玖島楓恋が、自らが生み出した仔らに食われ朽ちていく貴志騨一成を見てそう叫んだ。すると、<母親>に命じられた仔らは飛び退くようにして離れ、貴志騨一成を解放する。そこで私はすかさず巻き戻してやった。人間としての玖島楓恋の支配下に入ったことで、仔らが取り込んだ体の一部も解放したからだ。でなければ、新たに作らなければならなかった。

「貴志騨くん、貴志騨くん!!」

玖島楓恋が呼びかけると、貴志騨一成も意識を取り戻した。

「玖島さん…」

レゼヌゥケショネフォオアの姿をした玖島楓恋を見ても、貴志騨一成はいつもと同じ視線を向けていた。こいつ、ケモナーなだけじゃなくこの種の人外もいけるクチだったか。

まあそれはさて置いて、玖島楓恋が人間としての自我を取り戻したのならこれはむしろ僥倖だ。

「詳しい事情は後で話すが、今はお前の協力が必要だ。自分に何ができるか分かるか?」

私が問い掛けると、玖島楓恋は戸惑った様子を見せながらも、

「はい」

とはっきり答えた。レゼヌゥケショネフォオアとしての感覚もある今の状態なら、当然、何ができるのかも分かるということだ。

「慣れてないだろうから無理はせんでいい。だが、お前の仔らには餌を与えてやれ。ただし、食っていいのはベニュレクリドゥカニァだけだ。分かるな?」

「はい、分かります」

玖島楓恋がそう応じてからは、早かった。レゼヌゥケショネフォオアの仔らがベニュレクリドゥカニァの幼生体を次々捕食し、私と貴志騨一成も幼生体を見付け次第始末していった。

「こいつで、終わりだ…!」

最後の一匹を、手斧を振り下ろし叩き潰す。

「ふむ……」

念の為、再度ビル内の気配を探るが、そこにはもはや辛うじて生き延びた人間達の気配しかなかった。

それを確認し、

「よし、戻るか」

と声を掛け、私と貴志騨一成は再び玖島楓恋の元に戻る。

「さて、取り敢えずはこれで片付いたし、巻き戻す前に状況を話しておこう。玖島楓恋、私は日守こよみだ」

そう言いながら、白小夏パクシャオシャの姿から日守こよみの姿に戻す。

「日守さん!?」

驚いた玖島楓恋だったが、既に貴志騨一成が怪物と化しつつ自分を救ってくれた光景を見いていたことで、割とすんなりと状況を受け入れることができたようだ。

そして私は、大まかな話を玖島楓恋に聞かせてやったのだった。

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