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魔法使いの章
碧空寺グループの異変
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碧空寺由紀を保護したことで今後どういう風に状況が動くのか動かないのかというのも見なければならんな。まあ、里親ごっこはそのついでと考えることにしよう。
古塩貴生もどう動くかだな。碧空寺家に置いてきた影は、基本的には両親に従う。だから両親のどちらかでも古塩貴生に会うことに難色を示せば会いに行くことはない。あの様子だとそれを許すとも思えんし、古塩貴生は碧空寺由紀嘉にも見放されることになるのか。憐れな奴だ。
碧空寺由紀嘉本人が自分の家にいたままなら、恐らく呼び出されればいかずにはいられんだろう。しかし、私の別宅に移ったこいつは、
「携帯電話は持ってこなくていいのか?」
と尋ねた私に、
「ああ、もういいんです。あんなの、私の嫌なところしか詰まってませんから」
などとすっきりした顔で言ってのけた。
そこにこいつが本当に欲していたものはなかったということだ。こいつはもう、碧空寺家の娘として生きてきた十四年間を必要としてないということでもある。自分の娘に必要とされないなど、あの両親も哀れだな。もっとも、娘の影の方が奴らにとっても都合が良いのかもしれん。
そんな形で碧空寺由紀も加わった私達の生活だが、何と言うか、笑ってしまうほどに平穏だった。新伊崎千晶と碧空寺由紀嘉の間にあるわだかまりはすぐには消えないものの、お互いに目を逸らして殆ど言葉も交わさないものの、特に支障があるものでもなかった。
そして、この奇妙な<家族のようなもの>を山下沙奈はとても大切にしていた。
「ご飯ができましたよ」
とか、
「お茶にしませんか」
とか、かいがいしく皆の世話をしようとし、気を遣い、それぞれを繋ぎ合わせようとしているのが誰の目からも分かった。
だが私の家は平穏でも、世の中というものは常にいろいろと起こっているものだ。
それは、いつものように皆で夕食をとっていた時のことだった。テレビのニュースで、碧空寺グループ内で対立が生じ、社長である碧空寺幸隆が解任されたと報じられたのだ。
しかしそのニュースを見た碧空寺由紀嘉は、
「ふ~ん。大変だね」
と、まるで他人事であった。
「心配じゃないんですか…?」
さすがに気になったらしい山下沙奈がそう尋ねたが、逆に、
「じゃあ、沙奈はお母さんのこと心配してたりする?」
と問われ、
「…あ」
と納得したような顔をしてしまった。
そうなのだ。山下沙奈の母親は、娘に対する数々の虐待の容疑で起訴され、裁判が始まっていたのである。にも拘らず山下沙奈自身はそれについてさほど関心を示さず、ただ厳しい判断が下されればいいと望んでいただけだった。
虫も殺せんような大人しい少女に見えていても、こいつの中にも自分を苦しめ続けた母親に対する憎悪は紛れもなく存在するのだ。ただ、それは露骨に表には表れず、母親のことを単なる罪人として切り捨てて無関心になる形で発揮されているということだ。強い憎悪と相殺される形で、親に対する情というものが欠落してしまっているのだ。それと同じことが、碧空寺由紀嘉にも起こっているということだろう。
愛情の反対は憎悪ではなく無関心だと言うが、まさにその通りのことが起こってるのかも知れんな。
だが私はこの時、こいつらとは別のことを感じ取っていた。と言うのも、碧空寺家に置いてきた<影>の目を通し私は見たのだ。碧空寺由紀嘉の母親で、今回の解任劇のもう一人の当事者である専務の碧空寺映美《へきくうじえみ》の姿を。
それは明らかに正気の人間の姿ではなかった。歪んだ笑みを浮かべ、邪気をはらんだ目で相手を見る、ほぼ怪物に等しいそれだった。
そいつは言った。
「由紀嘉。あなたもすっかりいい子になったことだし、選択のチャンスをあげましょう。私についてくるか、あの男についていくか、どちらを選ぶのかそのチャンスをね。さあ、どうするの…!?」
リビングで、私が作った影とは言っても、血は繋がっていないとは言っても、仮にも自分の娘を前に芝居じみた大仰な振る舞いでそのような選択を迫ってくるとは、何のつもりなんだか。
もっとも、その原因も、私には分かっていた。母親は憑かれているのだ。<強欲の樽>クエヌロネリァアに。そのせいで、それまでは抑えていた願望や欲望が、自分をまるで奴隷のように都合よく利用してきた碧空寺家への反抗と逆襲という形で噴き出したのである。結局こいつも、碧空寺幸隆を始めとした碧空寺家の人間に虐げられてきたということだ。その復讐として今回の解任劇を仕組んだということだろう。
要するに、碧空寺家の奴らがこいつを追い込み過ぎたことで起こったことでしかないということだと言える。本物の娘の方はここで穏やかに暮らしているというのにな。
碧空寺由紀嘉の影の方は、母親に直接そう訊かれたので、
「あなたに従います…」
と応えていた。心のない影だから、言われたことに反応するだけなのだ。これがもし、父親の方に同じように訊かれていたらやはりそちらにも『従います』と言っただろう。だが母親は、その娘の言葉を聞き、勝ち誇ったように声を上げて笑った。
「ははは、あーははははは!」
という感じでな。
このことは、碧空寺由紀嘉本人には教えていない。こいつはもう両親には何の関心もないから教える必要もなかった。教えたところで『ふーん』と聞き流すだけなのは分かっていた。だからそんな無駄なことはしない。
だが、碧空寺家がそんなことになっていることについては、私自身は少なからず楽しんでいた。母親がクエヌロネリァアに憑かれていたことも最初から知っていた。知っていて放っておいたのだ。どうなるか見てやろうと思ってな。
私は再び、女子高生だった私の<影>と、サラリーマンだった私の<影>を作り、それぞれ碧空寺グループが展開する飲食チェーンとホテルチェーンの様子を窺ってみた。
『ほう…これはこれは』
するとそこには、異様な光景が広がっていた。訪れる客の様子がおかしいのだ。一見すると普通のようにも見えるが、それは表面だけで、皆一様に生気が感じられない。毎日をただ漫然と過ごし、緩慢な死を迎えるだけの飼い慣らされた家畜のようであった。そこに人間としての意思は感じられず、慣習として飲食店やホテルを利用しているのだ。己の経済状況も顧みずに。
それは、碧空寺由紀嘉の母親であり碧空寺グループの専務であった碧空寺映美が主導して行った経営プランによるものだったようだ。これにより碧空寺グループの業績は飛躍的に伸び、その功績によって碧空寺映美はグループ内での発言力を高めた結果、今回のクーデターとも呼ぶべき解任劇が起こったということらしい。
とは言え、碧空寺家の方もそれで大人しく引き下がる筈もなく、同じ碧空寺グループであっても、指揮系統が別だったレストランチェーンを独立させ、そちらを本家と称し、それによって碧空寺映美が率いるグループとの全面対決の始めたのであった。
世間はそれを『碧空寺グループのお家騒動』と称して面白がり、互いに相手を罵り続ける元夫婦の不様な姿をドラマのように楽しんでいた。その裏で起こっていることも知らずに。
十一月に入り秋の気配がはっきりしてきた頃、多くの人間共はまだ気付いていなかったが、その異変は着実に広がりを見せていた。経済的に立ち行かずに破綻。自己破産や夜逃げといったことを行う者が増えてきていたのである。
まだ統計上のデータが集まっていないこともあり公にはなっていなかったが、一部の専門家はその異様さを危惧し始めていたりもした。そして専門家すら気付いていなかった事実がそこには隠されていた。破綻した者の多くが、碧空寺映美が率いる方の碧空寺グループのホテルや飲食店を普段から利用していた者達であるという事実が。
ここまでくればもはや疑いようもない。これは、サタニキール=ヴェルナギュアヌェが仕組んだことに間違いなかったのだった。
古塩貴生もどう動くかだな。碧空寺家に置いてきた影は、基本的には両親に従う。だから両親のどちらかでも古塩貴生に会うことに難色を示せば会いに行くことはない。あの様子だとそれを許すとも思えんし、古塩貴生は碧空寺由紀嘉にも見放されることになるのか。憐れな奴だ。
碧空寺由紀嘉本人が自分の家にいたままなら、恐らく呼び出されればいかずにはいられんだろう。しかし、私の別宅に移ったこいつは、
「携帯電話は持ってこなくていいのか?」
と尋ねた私に、
「ああ、もういいんです。あんなの、私の嫌なところしか詰まってませんから」
などとすっきりした顔で言ってのけた。
そこにこいつが本当に欲していたものはなかったということだ。こいつはもう、碧空寺家の娘として生きてきた十四年間を必要としてないということでもある。自分の娘に必要とされないなど、あの両親も哀れだな。もっとも、娘の影の方が奴らにとっても都合が良いのかもしれん。
そんな形で碧空寺由紀も加わった私達の生活だが、何と言うか、笑ってしまうほどに平穏だった。新伊崎千晶と碧空寺由紀嘉の間にあるわだかまりはすぐには消えないものの、お互いに目を逸らして殆ど言葉も交わさないものの、特に支障があるものでもなかった。
そして、この奇妙な<家族のようなもの>を山下沙奈はとても大切にしていた。
「ご飯ができましたよ」
とか、
「お茶にしませんか」
とか、かいがいしく皆の世話をしようとし、気を遣い、それぞれを繋ぎ合わせようとしているのが誰の目からも分かった。
だが私の家は平穏でも、世の中というものは常にいろいろと起こっているものだ。
それは、いつものように皆で夕食をとっていた時のことだった。テレビのニュースで、碧空寺グループ内で対立が生じ、社長である碧空寺幸隆が解任されたと報じられたのだ。
しかしそのニュースを見た碧空寺由紀嘉は、
「ふ~ん。大変だね」
と、まるで他人事であった。
「心配じゃないんですか…?」
さすがに気になったらしい山下沙奈がそう尋ねたが、逆に、
「じゃあ、沙奈はお母さんのこと心配してたりする?」
と問われ、
「…あ」
と納得したような顔をしてしまった。
そうなのだ。山下沙奈の母親は、娘に対する数々の虐待の容疑で起訴され、裁判が始まっていたのである。にも拘らず山下沙奈自身はそれについてさほど関心を示さず、ただ厳しい判断が下されればいいと望んでいただけだった。
虫も殺せんような大人しい少女に見えていても、こいつの中にも自分を苦しめ続けた母親に対する憎悪は紛れもなく存在するのだ。ただ、それは露骨に表には表れず、母親のことを単なる罪人として切り捨てて無関心になる形で発揮されているということだ。強い憎悪と相殺される形で、親に対する情というものが欠落してしまっているのだ。それと同じことが、碧空寺由紀嘉にも起こっているということだろう。
愛情の反対は憎悪ではなく無関心だと言うが、まさにその通りのことが起こってるのかも知れんな。
だが私はこの時、こいつらとは別のことを感じ取っていた。と言うのも、碧空寺家に置いてきた<影>の目を通し私は見たのだ。碧空寺由紀嘉の母親で、今回の解任劇のもう一人の当事者である専務の碧空寺映美《へきくうじえみ》の姿を。
それは明らかに正気の人間の姿ではなかった。歪んだ笑みを浮かべ、邪気をはらんだ目で相手を見る、ほぼ怪物に等しいそれだった。
そいつは言った。
「由紀嘉。あなたもすっかりいい子になったことだし、選択のチャンスをあげましょう。私についてくるか、あの男についていくか、どちらを選ぶのかそのチャンスをね。さあ、どうするの…!?」
リビングで、私が作った影とは言っても、血は繋がっていないとは言っても、仮にも自分の娘を前に芝居じみた大仰な振る舞いでそのような選択を迫ってくるとは、何のつもりなんだか。
もっとも、その原因も、私には分かっていた。母親は憑かれているのだ。<強欲の樽>クエヌロネリァアに。そのせいで、それまでは抑えていた願望や欲望が、自分をまるで奴隷のように都合よく利用してきた碧空寺家への反抗と逆襲という形で噴き出したのである。結局こいつも、碧空寺幸隆を始めとした碧空寺家の人間に虐げられてきたということだ。その復讐として今回の解任劇を仕組んだということだろう。
要するに、碧空寺家の奴らがこいつを追い込み過ぎたことで起こったことでしかないということだと言える。本物の娘の方はここで穏やかに暮らしているというのにな。
碧空寺由紀嘉の影の方は、母親に直接そう訊かれたので、
「あなたに従います…」
と応えていた。心のない影だから、言われたことに反応するだけなのだ。これがもし、父親の方に同じように訊かれていたらやはりそちらにも『従います』と言っただろう。だが母親は、その娘の言葉を聞き、勝ち誇ったように声を上げて笑った。
「ははは、あーははははは!」
という感じでな。
このことは、碧空寺由紀嘉本人には教えていない。こいつはもう両親には何の関心もないから教える必要もなかった。教えたところで『ふーん』と聞き流すだけなのは分かっていた。だからそんな無駄なことはしない。
だが、碧空寺家がそんなことになっていることについては、私自身は少なからず楽しんでいた。母親がクエヌロネリァアに憑かれていたことも最初から知っていた。知っていて放っておいたのだ。どうなるか見てやろうと思ってな。
私は再び、女子高生だった私の<影>と、サラリーマンだった私の<影>を作り、それぞれ碧空寺グループが展開する飲食チェーンとホテルチェーンの様子を窺ってみた。
『ほう…これはこれは』
するとそこには、異様な光景が広がっていた。訪れる客の様子がおかしいのだ。一見すると普通のようにも見えるが、それは表面だけで、皆一様に生気が感じられない。毎日をただ漫然と過ごし、緩慢な死を迎えるだけの飼い慣らされた家畜のようであった。そこに人間としての意思は感じられず、慣習として飲食店やホテルを利用しているのだ。己の経済状況も顧みずに。
それは、碧空寺由紀嘉の母親であり碧空寺グループの専務であった碧空寺映美が主導して行った経営プランによるものだったようだ。これにより碧空寺グループの業績は飛躍的に伸び、その功績によって碧空寺映美はグループ内での発言力を高めた結果、今回のクーデターとも呼ぶべき解任劇が起こったということらしい。
とは言え、碧空寺家の方もそれで大人しく引き下がる筈もなく、同じ碧空寺グループであっても、指揮系統が別だったレストランチェーンを独立させ、そちらを本家と称し、それによって碧空寺映美が率いるグループとの全面対決の始めたのであった。
世間はそれを『碧空寺グループのお家騒動』と称して面白がり、互いに相手を罵り続ける元夫婦の不様な姿をドラマのように楽しんでいた。その裏で起こっていることも知らずに。
十一月に入り秋の気配がはっきりしてきた頃、多くの人間共はまだ気付いていなかったが、その異変は着実に広がりを見せていた。経済的に立ち行かずに破綻。自己破産や夜逃げといったことを行う者が増えてきていたのである。
まだ統計上のデータが集まっていないこともあり公にはなっていなかったが、一部の専門家はその異様さを危惧し始めていたりもした。そして専門家すら気付いていなかった事実がそこには隠されていた。破綻した者の多くが、碧空寺映美が率いる方の碧空寺グループのホテルや飲食店を普段から利用していた者達であるという事実が。
ここまでくればもはや疑いようもない。これは、サタニキール=ヴェルナギュアヌェが仕組んだことに間違いなかったのだった。
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