JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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日守こよみの章

変化の兆し

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「ただいま~」

新伊崎千晶にいざきちあきが自宅に戻ると、両親が既に帰宅していた。

「こんな時間までどこに行ってたんだ?」

義父がそう聞いたが、それを無視して二階にある自分の部屋に閉じこもってしまった。

「まったく、あいつはどうしてああなんだ」

真面目かもしれないが、裏を返せばそれしか取り柄のない、人間としての厚みもない、器の小さな男だというのがよく分かる義父がそう吐き捨てる一方で、母親の方は娘に対する違和感を覚えていた。

『あの子、ただいまなんて言う子だったかしら…?』

そんな両親はさておき、自分の部屋に入ったものの新伊崎千晶はその惨状に言葉を失った。今までは気にもならなかったゴミに埋め尽くされたその光景が、単純に不快に感じられたのだ。

「お母さん、ゴミ袋ってどこ?」

一階に降りて母親にそう声を掛ける。

「え? ゴミ袋ならキッチンの扉の中だけど…」

母親が戸惑いながら応えると、そこからゴミ袋を取り出し「ありがとう」と一声残してまた二階へと上がってしまった。義父は風呂に入っていて気付かなかったが、この時の母親の驚きようは滑稽ですらあった。

『あの子が、ありがとうって……え? え…!?』

そうなのだ。ここ一年以上、お互いにまともに会話すらしていないこの母娘の間で『ありがとう』という言葉が出て来たのは、母親が記憶してる限りでは新伊崎千晶がまだ幼かった頃以来だったのである。

ゴミ袋を手に部屋に戻った新伊崎千晶は、そこにあったゴミを片っ端から詰め込み始めた。厳密には分別が必要なのだが、とにかく手当たり次第にゴミ袋にぎゅうぎゅうと押し込んでいった。

すると三十分ほどで目立ったゴミはなくなり、脱ぎ捨てた服もハンガーにかけてラックに吊るすと、見違えるように部屋が片付いた。それから数か月ぶりに掃除機を出してきて、かけた。

決して丁寧でもなくパパッとかけただけだったが、娘が掃除機をかけている気配は、一階にいる母親を、

『え? 何? 掃除してるのあの子?』

とさらに困惑させたのだった。

「ふう…ま、こんなもんか…」

掃除機を片付けながら呟いた新伊崎千晶の視線の先には、以前と比べれば片付いたものの、それでもどこか薄汚れた印象は残りつつ、しかしともかくこれで使いやすくはなったであろう自分の部屋だった。

それからようやく制服を脱いで部屋着に着替えようとしたが、今度は手に取った部屋着を鼻に近付け、臭いを嗅いだ瞬間、

「臭っ!」

と顔をしかめて並べたゴミ袋の上に放り、下着姿のままで机の前に腰掛けた。

「はあ…」

溜息を吐いた新伊崎千晶だったが、机の上に置かれた鏡に映るその表情は、それまでのものと少し変わっていた。昨日までのような眉間にしわを寄せた不機嫌そうなものではなく、ややあどけなさも感じられる子供っぽい表情であった。

私はその一部始終を、新伊崎千晶の意識を通じて見ていた。そしてなぜ突然、こういうことを始めたのかということも、分かってしまった。私の家と比べてしまったのだ。無駄なものを一切置かず、生活感すら感じさせないほどに片付けられた私の家と自分の部屋の違いを見せ付けられたことで、いかに酷い有様だったのかということに気付いてしまったのである。

「洗濯は…日守かもりのとこでやればいいか」

私と意識が繋がっている状態なのを忘れて新伊崎千晶がそう呟いた時、私はこの部屋に別の気配があることに気付いていた。

『後ろだ、新伊崎千晶』

ビクンッと飛び跳ねるくらいにこいつは驚いていた。私と意識が繋がってたのをようやく思い出したのだ。

「…な! 見てたのかよ!」

と慌てて後ろを振り向いた新伊崎千晶の視線の先にいたのは、私ではなかった。

「…え…?」

それは、ヒキガエルだった。

いや、<ヒキガエルのような何か>と言うべきか。

何しろ、頭は明らかにヒキガエルを思わせるものでありながら、そいつはやや前屈みの姿勢ながらも二本の脚で立ち、両腕を前に垂らした姿をしていたのだ。しかも、大きかった。完全に中に人間が入っているのでは?と思わずにいられない大きさであった。そいつが、自分の背後に立っていたのである。

その時の新伊崎千晶の驚きようは、なかなか見られないものであった。

「い…? ひ…ぃっ!!」

何とも言えない詰まった悲鳴を漏らしつつ椅子から転げ落ち、派手に体をあちこちにぶつけながら床に倒れ込んだ。驚き過ぎてまともな声も出ず、口だけがあうあうと無意味に動いた。

そんな新伊崎千晶に対して、ヒキガエルが、<ヒキガエルのような何か>が言った。

「お前に、天誅を下しに来た…」

ぐちゃぐちゃと、半分水に浸かった状態でしゃべっているかのように湿っぽく不鮮明な発音だったが、確かにそいつはそう言った。それで私には分かってしまった。こいつ、新伊崎千晶に騙された人間の一人だな。仕掛けられた召喚式が発動して、下賤の輩に憑かれてしまったのだ。

確かブジュヌレンとか言ったか。見た目はヒキガエルに似ているが、こいつは猟犬だ。獲物の臭いを嗅ぎつけどこまでも追う、猟犬としてよく使役される奴だ。やり取りしていた時に感じた新伊崎千晶の匂いを辿って見付けたのだろう。しかし『天誅』とはまた、中二病臭い奴だな。

いきなりの出現に驚いた新伊崎千晶ではあったが、まるで特撮ヒーローものに出てくる怪物のような着ぐるみ感溢れるその姿に、それほど恐怖は感じなかったようだ。

「何だよお前、何勝手に人ンちに上がってんだよ…!」

机に掴まって立ち上がりながらそいつを睨み付け、右手を突き出し指をさし、決して声は大きくないがはっきりとそう言った。明らかに恐怖よりも怒りの方が勝っていた。自分の部屋に勝手に入られたことに腹を立てていたのだ。

だが、そこまでだった。そいつに向かって突き出した右手が、突然、消え失せたのだ。そして新伊崎千晶は見てしまった。そいつの横に広がった口から垂れた長い舌のようなものの先に、人間の手のようなものが捕らえられていたことに。そのことに気付いた瞬間、新伊崎千晶の全身を電撃のような衝撃が奔り抜けた。痛みだった。右腕をもぎ取られた痛みが、新伊崎千晶の脳を貫いた。

「あ…あ、ああぁぁあぁがぁああぁーっっ!!」

喉が裂けるかのような絶叫が、安普請の建売住宅そのものを震わせた。その痛みが、今、目の前にいるそれが着ぐるみの怪人などではなく、本物の怪物であるということを、魂を抉る程に思い知らせていた。

『ヤバヤバヤバイヤバイ……っっ!!』

新伊崎千晶は、パニックに陥っていた。もはや思考は形を成さず、ただ動物としての本能のままに、目の前の恐怖と危険から逃れようとして逃げ道を求めた。それは窓であった。頭から窓に突っ込んでガラスを破り、下着しか身に着けていない体を宙に躍らせた。

だが、人間がそのような真似をしてただで済む筈がない。すぐに重力に捉えられ引きずり落とされ、一階の庇《ひさし》にぶつかった後、アスファルトの道路に全身を叩き付けられた。しかもその時、新伊崎千晶は、自分の体の中でバギッっというかグギャッっというか何とも表現できない音を聞いた。そして同時に、腕をもがれた時以上の衝撃が全身を駆け抜け、脳が焼け付くような感覚に襲われたのだった。

アスファルトの道路に背中から落ち、脊柱が粉砕されたのである。

「……あ…ぁあ……?」

もう、体が動かなかった。体は動かないのに妙に意識だけが鮮明になり、自分の体に何が起こったのかということを直感的に理解してしまった。

『あたし、死ぬんだ…』

ガラスの割れた窓から、あのヒキガエルのような姿をした怪物が自分に向かって身を躍らせるのが見えた。

『あたしの人生、こんなのなんだ……』

親にも愛してもらえず、自身を認めることもできず、ただ鬱々としたストレスの中でゴミを積み上げただけの己の生涯を嘆き、新伊崎千晶は涙をこぼしたのであった。

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