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日守こよみの章
忌まわしき足音
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例の体験入部の一件以降、レスリング部からは取り敢えず何の反応もなかった。ただ、古塩貴生の肥土透を見る視線はその後も明らかに妬みを含んだものであり、必ずしも懲りているとは言い難いものと思えた。だからもっと徹底的に鳴かせてやって力の差を思い知らせてやってだな…!
…と、今さら言っても始まらんか。それに古塩貴生が懲りずにまた何かちょっかいを掛けてくるならその時こそ鳴かせてやればいいしな。
それより様子がおかしいのがいる。貴志騨一成だ。このところ部活をサボり、授業が終わるとすぐに下校してしまうようなのである。
月城こよみ自身は貴志騨一成のことを最初から苦手にしていたので姿が見えなくても気にしてなかったものの、部長の代田真登美はそうではなかった。今日は部員皆でTRPGをしていたのだが、そこで貴志騨一成の話になったのだ。
「貴志騨君、最近、部活に来ないけど、どうしたのかしら?」
心配そうにそう漏らす代田真登美に、代田真登美と同じ三年の玖島楓恋が同調した。
「ホント。それまでは欠かさず来てくれてたのに…」
この二人は、単純に貴志騨一成のことを心配していた。奴がどれほど女子に人気が無かろうと気持ち悪がられてようと、そういうことはあまり気にしない性分なのである。世間の空気や風潮といったものに頓着しないのだ。それ故、鉄壁の非モテである貴志騨一成に対しても他の部員に対するものと変わりなく接し、それ故、貴志騨一成からは崇拝に近い気持ちを向けられていたのだった。しかし二人の方はそんなことさえ気付かずに、あくまで部活動の大切な仲間として接していたのだが。
とは言え、確かに貴志騨一成の二人に対する執着を思えば、最近の態度は解せないと言えるだろう。しかしまあ、私に言わせればあいつは元々、自分に言い寄ってくれるような相手にならホイホイと尻尾を振ってついて行くような奴だとは思っていたがな。何しろ、ケニャルデルに憑かれて淫魔と化した養護教諭の佐久下清音に篭絡されるような奴だ。元来、移り気な奴なんだろう。
ただ、少し気になっていることもある。奴の体から、微かにではあるが化生の臭いがしてくるのだ。ただそれは、奴自身が憑かれているとかいう程のものではなく、恐らくは憑かれてる何者かと関わりを持っているということだと思われる。さりとて今のところは特に問題もないようだから特に構ったりもせんが。
そんな感じで奴のことを案じてるのは代田真登美と玖島楓恋のみで、山下沙奈ですら奴のことは苦手としていたのだった。山下沙奈の場合は、奴の言動が自身のトラウマに触れるという所為もある。山下沙奈に乱暴した客の中に、奴によく似たのがいたからだ。その話を聞いたのは私だけだし、露骨に毛嫌いしたりはせんから他の奴らは気付いてさえいないがな。
「お願い! ダイスの神様! って、ぎゃーっ! ファンブったーっ!! うわーっ! 死んだーっ!!」
とまあ、そういうあれこれを私が考えている時、自身の順番が来た為にサイコロを振った月城こよみがやらかしてしまって声を上げた。
「何やってんだ月城ーっ!!」
月城こよみのやらかしの巻き添えを食った肥土透も思わず声を上げる。ゲーム的には大惨事だった。ニャルラトホテプが顕現し、私と山下沙奈のキャラクター以外はロストしてしまったのだ。
「あら~…」
「やっちゃいましたね」
これにはさすがに代田真登美と玖島楓恋も苦い顔だった。しかし私は負けん。山下沙奈の助けも借りつつ、クリティカルを連発し、見事にニャルラトホテプを退けることに成功した。ゲームは私の一人勝ちだった。見たか人間共。
そうしてこの日の部活は終わった。と言うか、これは部活なのか? ただゲームで遊んでただけではないか。まあ、以前から似たようなものと言えばそうなのだが。
それにしても、クトゥルーか……奴らはこの世界には来とらんようだが、人間共にも奴らの存在を感じ取った者がいるのだな。まあ当然か、私達はどこにでも現れ、どこにでも存在できるのだから。
「今日は私が締めるから、みんなは先に帰ってもらっていいよ」
代田真登美に言われ、私達は「お疲れさまでした」と挨拶をして部室を後にした。
「どうする? 今日もクォ…日守さんのところに寄ってくか?」
「だね~、SAN値削れ過ぎで直帰する気力もないし…」
などと好き勝手なことを言っている肥土透と月城こよみに、山下沙奈が苦笑いしていた。まったく、こいつらときたら……
と、その時、私の耳に届いてくる音があった。人間では感知できない波長の振動だった。人間の体では音として解釈されたようだが、厳密には音ではない。振動だ。私に遅れること数秒、月城こよみと肥土透もその振動を音として感じ取ったようだった。
「何? この音。聞こえる肥土君?」
問い掛ける月城こよみに肥土透も硬い表情で応えた。
「ああ、何だろう? すごく嫌な音だな」
山下沙奈だけは聞き取れず、私達の様子に困惑している。しかしその音は、三十秒ほどで聞こえなくなった。
「あれ? 音が止んだ? 止んだよね?」
「止んだな」
月城こよみと肥土透がそう言っている間も私だけは感じ取っていた。何者かが近付いてくる気配を。そうだ。今のはそいつの足音のようなものだ。奴が動いた際に出る波長だ。地震で言う初期微動のようなものとでも言えば人間にも分かりやすいか。奴だ。ハリハ=ンシュフレフアが近付いているのだ。
しかもこの音が聞こえたということは、奴は空間を超えてくるのではなく、物理的に移動してるということだ。となれば遅くとも一年以内には本体が来るな。さて、その時にこの地球がどうなるかは私にも分からんが、少なくとも好き勝手にはやらせんぞ。ここは私のなわばりなのだからな。
私の顔に、戦いの予感に抑えきれず浮かび上がった狂悦の笑みが張り付いていたのだった。今、私の前に誰もいなくて幸いだったな。
校門に向かって歩く私達の前に、黄三縞亜蓮《きみじまあれん》の姿があった。だがそれと一緒に見えたのは、古塩貴生の姿だった。黄三縞亜蓮の手を掴み、何やら不穏な気配を放っている。痴話喧嘩だな。平和なものだ。
「お前、最近どうしたんだよ? なんで俺のこと無視してんだ?」
だと。何だこのテンプレ臭いセリフは。なんでも何も本人の様子を見れば分かるだろうに。お前のことが嫌になったんだとな。どこまでも頭の悪い奴だ。
「何やってんだ古塩! 黄三縞が嫌がってんだろうが。放してやれよ!」
黄三縞亜蓮と古塩貴生の様子に気付いた肥土透がそう声を発した。これに気付いた黄三縞亜蓮の表情がふっと柔らかくなる。古塩貴生に向けていた嫌悪感しかない表情とはまるで別人のようにさえ見えた。
「肥土君…!」
表情と共に発せられた声も、どこか甘ったるい響きが感じられる。その様子にさすがに古塩貴生も察し、かあっと顔が赤くなった。頭に血が上る様子が見えるようだった。
「てめ…!」
激情に任せて手を振り上げる古塩貴生に気付き、黄三縞亜蓮が目を瞑り体を竦めた。しかし両手は顔や頭ではなく自分の腹を庇うように体に巻き付く。だが、予測された衝撃は来なかった。
恐る恐る開けられた黄三縞亜蓮の視線の先に、古塩貴生の右腕を掴む肥土透の姿があった。
「…肥土君」
思わず漏れた声からは、さらに甘えるような響きが感じられたのだった。
…と、今さら言っても始まらんか。それに古塩貴生が懲りずにまた何かちょっかいを掛けてくるならその時こそ鳴かせてやればいいしな。
それより様子がおかしいのがいる。貴志騨一成だ。このところ部活をサボり、授業が終わるとすぐに下校してしまうようなのである。
月城こよみ自身は貴志騨一成のことを最初から苦手にしていたので姿が見えなくても気にしてなかったものの、部長の代田真登美はそうではなかった。今日は部員皆でTRPGをしていたのだが、そこで貴志騨一成の話になったのだ。
「貴志騨君、最近、部活に来ないけど、どうしたのかしら?」
心配そうにそう漏らす代田真登美に、代田真登美と同じ三年の玖島楓恋が同調した。
「ホント。それまでは欠かさず来てくれてたのに…」
この二人は、単純に貴志騨一成のことを心配していた。奴がどれほど女子に人気が無かろうと気持ち悪がられてようと、そういうことはあまり気にしない性分なのである。世間の空気や風潮といったものに頓着しないのだ。それ故、鉄壁の非モテである貴志騨一成に対しても他の部員に対するものと変わりなく接し、それ故、貴志騨一成からは崇拝に近い気持ちを向けられていたのだった。しかし二人の方はそんなことさえ気付かずに、あくまで部活動の大切な仲間として接していたのだが。
とは言え、確かに貴志騨一成の二人に対する執着を思えば、最近の態度は解せないと言えるだろう。しかしまあ、私に言わせればあいつは元々、自分に言い寄ってくれるような相手にならホイホイと尻尾を振ってついて行くような奴だとは思っていたがな。何しろ、ケニャルデルに憑かれて淫魔と化した養護教諭の佐久下清音に篭絡されるような奴だ。元来、移り気な奴なんだろう。
ただ、少し気になっていることもある。奴の体から、微かにではあるが化生の臭いがしてくるのだ。ただそれは、奴自身が憑かれているとかいう程のものではなく、恐らくは憑かれてる何者かと関わりを持っているということだと思われる。さりとて今のところは特に問題もないようだから特に構ったりもせんが。
そんな感じで奴のことを案じてるのは代田真登美と玖島楓恋のみで、山下沙奈ですら奴のことは苦手としていたのだった。山下沙奈の場合は、奴の言動が自身のトラウマに触れるという所為もある。山下沙奈に乱暴した客の中に、奴によく似たのがいたからだ。その話を聞いたのは私だけだし、露骨に毛嫌いしたりはせんから他の奴らは気付いてさえいないがな。
「お願い! ダイスの神様! って、ぎゃーっ! ファンブったーっ!! うわーっ! 死んだーっ!!」
とまあ、そういうあれこれを私が考えている時、自身の順番が来た為にサイコロを振った月城こよみがやらかしてしまって声を上げた。
「何やってんだ月城ーっ!!」
月城こよみのやらかしの巻き添えを食った肥土透も思わず声を上げる。ゲーム的には大惨事だった。ニャルラトホテプが顕現し、私と山下沙奈のキャラクター以外はロストしてしまったのだ。
「あら~…」
「やっちゃいましたね」
これにはさすがに代田真登美と玖島楓恋も苦い顔だった。しかし私は負けん。山下沙奈の助けも借りつつ、クリティカルを連発し、見事にニャルラトホテプを退けることに成功した。ゲームは私の一人勝ちだった。見たか人間共。
そうしてこの日の部活は終わった。と言うか、これは部活なのか? ただゲームで遊んでただけではないか。まあ、以前から似たようなものと言えばそうなのだが。
それにしても、クトゥルーか……奴らはこの世界には来とらんようだが、人間共にも奴らの存在を感じ取った者がいるのだな。まあ当然か、私達はどこにでも現れ、どこにでも存在できるのだから。
「今日は私が締めるから、みんなは先に帰ってもらっていいよ」
代田真登美に言われ、私達は「お疲れさまでした」と挨拶をして部室を後にした。
「どうする? 今日もクォ…日守さんのところに寄ってくか?」
「だね~、SAN値削れ過ぎで直帰する気力もないし…」
などと好き勝手なことを言っている肥土透と月城こよみに、山下沙奈が苦笑いしていた。まったく、こいつらときたら……
と、その時、私の耳に届いてくる音があった。人間では感知できない波長の振動だった。人間の体では音として解釈されたようだが、厳密には音ではない。振動だ。私に遅れること数秒、月城こよみと肥土透もその振動を音として感じ取ったようだった。
「何? この音。聞こえる肥土君?」
問い掛ける月城こよみに肥土透も硬い表情で応えた。
「ああ、何だろう? すごく嫌な音だな」
山下沙奈だけは聞き取れず、私達の様子に困惑している。しかしその音は、三十秒ほどで聞こえなくなった。
「あれ? 音が止んだ? 止んだよね?」
「止んだな」
月城こよみと肥土透がそう言っている間も私だけは感じ取っていた。何者かが近付いてくる気配を。そうだ。今のはそいつの足音のようなものだ。奴が動いた際に出る波長だ。地震で言う初期微動のようなものとでも言えば人間にも分かりやすいか。奴だ。ハリハ=ンシュフレフアが近付いているのだ。
しかもこの音が聞こえたということは、奴は空間を超えてくるのではなく、物理的に移動してるということだ。となれば遅くとも一年以内には本体が来るな。さて、その時にこの地球がどうなるかは私にも分からんが、少なくとも好き勝手にはやらせんぞ。ここは私のなわばりなのだからな。
私の顔に、戦いの予感に抑えきれず浮かび上がった狂悦の笑みが張り付いていたのだった。今、私の前に誰もいなくて幸いだったな。
校門に向かって歩く私達の前に、黄三縞亜蓮《きみじまあれん》の姿があった。だがそれと一緒に見えたのは、古塩貴生の姿だった。黄三縞亜蓮の手を掴み、何やら不穏な気配を放っている。痴話喧嘩だな。平和なものだ。
「お前、最近どうしたんだよ? なんで俺のこと無視してんだ?」
だと。何だこのテンプレ臭いセリフは。なんでも何も本人の様子を見れば分かるだろうに。お前のことが嫌になったんだとな。どこまでも頭の悪い奴だ。
「何やってんだ古塩! 黄三縞が嫌がってんだろうが。放してやれよ!」
黄三縞亜蓮と古塩貴生の様子に気付いた肥土透がそう声を発した。これに気付いた黄三縞亜蓮の表情がふっと柔らかくなる。古塩貴生に向けていた嫌悪感しかない表情とはまるで別人のようにさえ見えた。
「肥土君…!」
表情と共に発せられた声も、どこか甘ったるい響きが感じられる。その様子にさすがに古塩貴生も察し、かあっと顔が赤くなった。頭に血が上る様子が見えるようだった。
「てめ…!」
激情に任せて手を振り上げる古塩貴生に気付き、黄三縞亜蓮が目を瞑り体を竦めた。しかし両手は顔や頭ではなく自分の腹を庇うように体に巻き付く。だが、予測された衝撃は来なかった。
恐る恐る開けられた黄三縞亜蓮の視線の先に、古塩貴生の右腕を掴む肥土透の姿があった。
「…肥土君」
思わず漏れた声からは、さらに甘えるような響きが感じられたのだった。
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