JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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夏休みの章

電子の妖精

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石脇佑香いしわきゆうかは、データとして鏡の表面に焼き付けられた元人間である。

しかし、肉体を失いただのデータとなってしまったことで、人間が本来持っている感覚の多くも失い、その<人間性>とでも言うべきものは大きく変容しつつあった。

人間は、肉体の反応によって多くの感覚を理解している。

恐怖を感じれば体は硬直し、震え、鼓動は早くなり、喉が渇き、冷や汗が吹きでる。

また、他者が苦しんでいれば胸が締め付けられ、涙が滲み、それによって他者の痛みや苦しみを疑似体験する。

だが、そのいずれも、今の石脇佑香にはない。それが生じるべき<肉体>がないからだ。

それでも、ンブルニュミハによって鏡の表面にデータとして焼き付けられた当初は、<肉体の反応の記憶>がそれをある程度は補っていただろうが、自らが既に恐怖を感じても体は硬直せず、他人の苦しみに触れても胸が痛くなることもないのを自覚するにつれ、<人間性>と呼ぶべきものは急速に失われていった。

それでいて、肉体が感じるであろう高揚感は無いにも拘らず、何故か欲望だけは肥大化する傾向を見せている。後ろめたさや悔恨の念にともなう肉体の反応が失われている所為もあるのだろう。

人間が作り出したネットワークの世界に入り浸り、もはやそちらが石脇佑香にとっては<現実世界>となりつつあった。

しかもネットワーク上では、石脇佑香を止める者も諫める者もいない。ネットワーク機器でも端末でもない石脇佑香に対してセキュリティーは意味を成さず、私が教えてもいないのに電気や電波まで操る方法を自ら体得してからは、物理的に切り離された機器にすら、電波に乗って侵入することを編み出しさえしていた。

それに加え、不法行為を咎めようにも、咎めるべき相手が現実世界に存在しないのだ。

「…もはや無敵状態だな」

私がそう言うと、石脇佑香は、

「あはは、そうかもしれませんね~」

と楽しげに笑った。しかしその笑い声は人間としての<湿度>を感じさせない非常に乾いたもので、私はもう既にこいつが人間としての<情>や<共感性>というものをほぼ失ってしまったのを察していた。

今のこいつはいわば<電子の妖精>とでも言うべき存在か。人間とはまったく異なるメンタリティを持ち、異質な価値観でのみ動く、人間にとっては不可解であり危険であり、しかし時には有益だったりすることもあるかもしれない<化生>。

あはははははは

うふふふふふふ

夏休みになり、生徒の姿もまばらになった薄暗い校舎の中に、人間の耳には聞こえない、乾いた笑い声がこだまする。

もしそれを耳にする人間がいれば、それこそ<学校の怪談>とやらに加えるのは間違いないだろうな。

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