JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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夏休みの章

外伝・漆 プリムラ・テリェトーネリアの喪失 後編

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蟲毒の行ヌェネルガは、数百年の歴史を持つとはいえ、魔法が技術として確立された頃からでも七千年に及ぶこの魔法の国そのものの歴史から見れば実はつい最近始まったものとも言えた。だから、本当なら魔法の国そのものが成立する為には必須の儀式ではなかったのである。

これに似た儀式はそれ以前にもあった。むしろ、統一された基準も決まりもなくそれぞれの地域で勝手に行われていたそれらを厳格な様式で統一したものが現在の<蟲毒の行ヌェネルガ>と言えるだろう。

しかし、それは何故、始まってしまったのか? 

理由は単純だったと思われる。邪神を討ち滅ぼす力を持った強力な魔法使いを生み出すというのが目的なのだ。だがこれも、『何の為に邪神を討ち滅ぼす必要があるのか?』という本来の目的を見失い、邪神を討ち滅ぼしうる強力な魔法使いを生み出すことでそれに対抗するという、元々は手段でしかなかったものが目的化してしまったことによる悲劇であった。

理不尽な邪神の厄災から愛する者達を守ろうとして、その守るべき愛する者達を陰惨な凶習の生贄に貶めたのだから、本末転倒もここに極まれりというものか。

それでも、この凶習の意義を妄信する者達によって、蟲毒の行ヌェネルガは続いていくのだ。



「キオリに敵う訳なんてないよ…」

魔法の実技の授業の後、プリムラはそう言って一人泣いていた。キオリとは、特待生として中途入学してきた留学生である。留学生と言っても、この魔法の国の中に存在する<外国>から来たという訳ではない。実は、魔法の才能を見出された別の惑星の人間達がそういう形で魔法を学んでいるのだ。それらの多くは、そもそもずば抜けた才能を持っているということで蟲毒の行ヌェネルガを免除されることが一般的だった。

と言うよりも、それが一般的な通過儀礼として定着していない世界の人間をいきなり連れてきて『殺し合いをしろ』などと言っても引き受けることなど普通は有り得ないのだから、当然の判断であっただろう。プリムラの同級生として一緒に魔法を学んでいたキオリも、同世代の子供達とでは次元の違う才能を発揮しており、順当に行けば免除されることは内定していたのだった。

とは言え、本人が参加を望んだりすればそれを拒むこともない。ごくたまに、儀式の内容を承知した上で参加を申し出る特待生も実際にいた。そういう場合は殆どが事前に予測された通り、特待生による一方的な蹂躙という形で幕を下ろすことになる。だから、それ以前に魔法の実技の授業などで、特待生に勝てるまではいかずとも一矢報いる程度のことができれば蟲毒の行ヌェネルガを生き残れる可能性は高くなるとも言えた。

だが、プリムラにとっては逆に、自分が生き残れる可能性など万に一つもないことを思い知らされるものでしかなかったのであった。



プリムラはもう諦めていた。蟲毒の行ヌェネルガを生き延びられることを。

この世界での感覚とは、そういう感じだった。儀式を生き残れるのは百人に一人。しかも単純に生存確率一パーセントという訳ではない。戦って勝ち残らなければいけないのである。そもそも勝てるだけの力がなければ可能性は限りなくゼロに近付いていく。だからこの星の住人の感覚としては、十三歳前後が寿命という認識だったとも言えるだろう。

プリムラ以外の子供らは、残された自分の時間を楽しもうと躍起になっていた。しかしその多くは享楽的刹那的なそれであり、性に溺れる者が大半だった。そうなれば当然、妊娠する者も出てくる。だが、子供がどんどん死ぬこの星では常に新しい子供を待ち望んでいる為、人工妊娠中絶というものが存在しない。子供を産んでくれるならたとえ十歳の少女でも構わないという認識すらあった。妊娠・出産の負荷は魔法によって軽減される為、イメージとしては月経と大差ない程度の負担でしかなかっただろう。プリムラの同級生の女子の半数が既に経産婦であったりもする。今も数人が妊娠中だ。

生まれた子供は、大抵、親がそのまま我が子のようにして育てる。何しろ、この時期に妊娠などしているようでは魔法の修練どころではなくなる為、蟲毒の行ヌェネルガを生き延びられる確率はさらに下がる。だが、享楽的刹那的な行動に走る時点で魔法使いとしての才能はお察しというレベルな為、親の方もどうせ死ぬのなら子供を残してくれた方がいいとさえ考えていた。

なお、この魔法の国では、通常の妊娠で生まれた場合は女性の方が魔法使いとしての適性が高い傾向にあり、しかも子供を産んでくれるということで、女児を望む親が圧倒的に多い。産み分けの為の魔法も存在し、性交する際にそれをあらかじめかけておくと九十パーセント以上の確率で女児が生まれる。それ故、十三歳以下の男女比は実に一対十八という、歪なまでに女性上位な社会だった。とは言え、数少ない男性は重宝される上に、特に産み分けの魔法をものともせず男児として生まれてきた子は生命力が強く、魔法使いとしての適性も一般的な女児をやや上回る傾向にあった。その結果として、蟲毒の行ヌェネルガを生き延びた成人の男女比は一対三程度にまで矯正される。

だが、プリムラは、そういう形での妊娠・出産を望んでいなかった。絵本に出てくるような素敵な<王子様>とお互いに惹かれ合って結ばれて幸せな結婚をしたいと思っていた。それができないならそもそも男性とそんな関係になりたくないとも思っていたくらいである。

なお、男女比が一対十八ともなれば、男性からすれば完全に売り手市場と言える状態だっただろう。基本的にちやほやされる為に幼い頃から丁寧に磨かれて、いわゆる<イケメン>に育つ。かつ、多少造形に難があろうと魔法によって整形も可能な為、この魔法の国には美男美女しかいない。それぞれの好みによって系統が違う美形になるだけである。

だがそういう点でも、この世界は実に歪で何かがおかしいのだと思われる。考え方の多くが手段と目的をはき違えているとも言えた。

儀式で子供が死ぬから新しい子供を欲するなど……

その、手段と目的をはき違えた発想が、プリムラにも降りかかる。

「ここに座りなさい」

ある日、学校から帰ってきたプリムラを、父親がリビングのソファーに座らせた。その正面に自分も座ると、怯えて小さくなっている娘を見下ろしながら冷たく言い放ったのだった。

「お前に、魂降ろしの儀マオヌドルレクを行うことにした」

「…え……?」

魂降ろしの儀マオヌドルレク>とは、平たく言えばある人間の体に別人の魂を降臨させ宿らせるという儀式である。これは、精神的には非常に優れているものの肉体の能力に恵まれなかった者を、肉体的に優れてはいるが精神的には弱さがあるという人間の体に転移させることで優れた魔法使いを作り出そうという、やはり狂気染みたものだった。これもまた、<邪神を討ち滅ぼすという目的を果たす為の手段としての強い魔法使い>というもの自体が目的化してしまったが故の発想だったのだろう。

『そ…そんな……』

プリムラは愕然としたが、否も応もなかった。彼女の意思には関係なくその日の夜に家に施術者が呼ばれ、プリムラの体に、蟲毒の行ヌェネルガによって亡くなった姉の魂が降ろされた。

「うむ。いい目をしているな、プリムラ」

そう言って父親が満足気に話し掛けた視線の先には、姿形は完全にプリムラの筈にも拘らず、その顔つきはついさっきまでの彼女とは全く異なる<プリムラの体を有した誰か>が精悍な目つきで佇んでいたのだった。

そこにはもう、絵本を読みながら王子様との恋を夢見ていた気弱な少女はいなかった。彼女の魂は降ろされた魂によって上書きされて、完全に別人格となってしまったのである。

「これでもう心配ない。お前は優れた魔法使いである先祖の血を受け継いでいるのだ。その血を活かせれば間違いない」

「はい、お父様。ご期待に必ず応えてみせます」

生まれ変わったプリムラは引っ込み思案だった頃とはまるで異なり、積極的に他人とも関わって、特待生のキオリとさえ友人となった。

が、そのキオリは中等部に上がる直前に学校を辞めてしまった。噂によると蟲毒の行ヌェネルガのことを知り臆病風に吹かれて辞めてしまったのだという。キオリ本人はそれを免除されるのがほぼ確実であったにも拘わらずだ。

「ふん、何たるチキンか。所詮は純血の魔法使いの血族じゃない余所者ってことだな」

不敵に笑ったプリムラはその後の蟲毒の行ヌェネルガを見事に生き延びた。共に儀式に臨んだ魔法使い見習いの子供らを圧倒し、容赦なく命を奪ってみせた。父親の見立て通り、プリムラの才能は非常に優れていたのだ。元々、高い素質を持っていた上に、『かつて蟲毒の行ヌェネルガを経験したことがある』ということが強みとなったのだろう。気弱で大人しい性格が災いしてそれが十分に発揮できなかっただけなのである。

しかしその翌年、学校を突然辞めたキオリが、あろうことか<邪神>とその眷属を伴って再び現れるという忌まわしい事態がこの国を襲った。プリムラも果敢に戦いを挑んだがその途中で意識を失ってしまう。

そして彼女が再び意識を取り戻した時、目の前にいたのは憎悪に顔を歪ませた人間達だった。そのうちの数人に彼女は見覚えがあった。蟲毒の行ヌェネルガで彼女が屠った者達の親であった。そう、プリムラに我が子を殺された者達に取り囲まれていたのである。

「なんだ、お前ら―――――?」

そう言い終える前に、彼女の体に剣が突き立てられていた。何が起こっているのか完全には把握できないままに、憎悪が込められた何十本もの剣に貫かれ、プリムラは息絶えたのであった。



プリムラ・テリェトーネリア。享年、十四歳。死因、多数の剣により体を貫かれたことによる外傷性ショック。

もっとも、この時に命を落としたプリムラは、本来のプリムラ・テリェトーネリアとして生を受けた彼女ではなかった。本当の彼女は既に、<魂降ろしの儀マオヌドルレク>によって消え去ってしまっていたのだから……

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