JC邪神の超常的な日常

京衛武百十

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月城こよみの章

復讐者

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「どうしてそれを私に話す?」

顔を伏せ、ギリギリと音を立てるように体に不自然に力が溜まっていく山下沙奈を見ながら、私は訊いた。そんな私の問いに対して、山下沙奈は首を横に振りながら答えた。その動作はどこかぎこちなかった。

「分かりません……先輩が普通の人じゃないことは、私も最初に会った時から感じてました。だからもしかしたら私の気持ちを分かってもらえるんじゃないかって思った気がします。でも、実際に話してみて余計に分からなくなりました。私は何を期待していたんでしょう…?」

そう言って頭を上げた山下沙奈は、既に人間の姿をしていなかった。髪の毛が絡まりあい何枚もの鋭い刃となり、両腕はいくつもの鋏が重なり合ったような形に変化していた。垂れ下がった前髪すら剃刀の様に鈍く光り、その間から覗く目は滾るマグマを思わせる赤い光を放っていた。横に裂けて広がった口からは、鋸のような歯が零れている。

部室から飛び出しつつ私は、空間を閉じていた。誰にも見えず、誰にも入れず、誰も外に出さないように、部室から向かいの鏡までの廊下の空間を外から遮断し、山下沙奈を外に出さないようにした。

「キシェェェエアアァアァァアァッッッ!!!」

空間そのものを切り裂こうとするかのような叫び声をあげ、山下沙奈が、いや、<かつて山下沙奈であったもの>が、私目掛けて跳躍する。

巨大な鋏が重なったかのような腕を伸ばし、迫る。私はその鋏を横から蹴り飛ばした。

「…む…!?」

だがその瞬間、すさまじい血しぶきが飛び散り、私の右足がずたずたになって千切れ飛ぶのが見えた。飛び掛かる<山下沙奈であったもの>を体をひねって躱し、千切れた足を巻き戻しつつ間合いを取った。私と入れ替わるように着地したそれの腕を見ると、あらゆる方向に向かって鋏が伸びているのが分かった。

『やれやれ、まるで鋏の針山だな…』

と、どうでもいいことを考える。

しかし私にはその暇すら与えられなかった。髪の毛の刃が凄まじい速さで伸び、私の左腕を切り落とした。それとほぼ同時に、また別の刃が私の首を薙ぎ払う。硬く鋭いものが、皮膚も血管も筋肉も頸骨も食道も断ち切りながら首の中を通り抜ける感触があった。転げ落ちそうになる頭を右手で押さえつけ、落ちた左腕を呼び寄せて元に戻す。

『速い…これは想像以上の力だな』

攻撃力そのものは、ショ=エルミナーレに比べるべくもなく脆弱なものでしかないし、速さもあれには見劣りする。とは言え、それはあくまでショ=エルミナーレとやり合った<もう一人の私>と意識を同期させたからそう感じるだけで、それがなければここまでで既に私の体は細切れにされていたかも知れない。下賤の輩、最下級の化生と侮っていたら、厄介なことになっていただろう。

「シャァアァアァアァアァァァアアァアァァッッッ!!!」

もはや山下沙奈としての意識すらも失ったのであろうは、私を切り刻もうと壁も天井も関係なく自在に跳ねまわり、執拗に飛び掛かってきた。それに対して私も体の表面を、カーボン繊維をはるかに超える強度のものに変化させ攻撃を受け止めた。さすがにザクザクと切り刻まれることは無くなったが、それでも受け止める度に傷だらけになる。凄まじい切れ味だ。

その時、私の背後で声がした。

「なにこれ!?」

石脇佑香いしわきゆうかの声だった。ふん。人間には見えないようにした筈だが、さすがに既にこちら側の存在になっただけはあるな。見えていたか。

髪の毛の刃を弾いて軌道を逸らすが、それが石脇佑香の鏡に直撃する。

「きゃあっ!」

悲鳴は上がったが、鏡には全く傷一つついていない。次元をずらして空間を閉じているのだ。見えてはいても、攻撃は届かない。

「月城さん! これは!?」

石脇佑香の問い掛けに答えてる暇はない。だがもう、これでこいつの力は分かった。もはや付き合う必要はない。

攻撃を受け止めつつ両足をしっかりと床につけ、「ふーっ…」と呼吸を整える。そして左腕の鋏が私に向かって突き出されたのを真っ向から右の拳で受け止める。

バンッ!

と大きな音がして、山下沙奈であったものの腕が弾けて消えた。衝撃で仰け反ったところに追撃、同じように右脚を消し飛ばした。そうだ。ショ=エルミナーレが私にやったあれを、今度は私がこいつにやってみせたのだ。いくら切れ味鋭い刃を持とうとも、私と比べれば力そのものの差は歴然としている。ここまで差があれば、後は力をいかに集中させるかだけの問題だ。

右腕も同様に消し飛ばし、そして残った左脚も消し飛ばした。

「シャヒィイィイイィイィィィイィィイッッッ!!」

両手両脚を失ってもなお、そいつは髪の毛の刃で体を支え、切り掛かる。しかしもう、無駄な抵抗だった。私自身もコツを掴んだことにより、右手で払いのけるだけで刃は消し飛んだ。残った刃で廊下を蹴り飛び掛かってきたそいつの刃の全てを消し飛ばした。

「キィシェアアァァアァァアアアァアァアァァッッッ!!!」

手足も髪も失い文字通り手も足も出なくなったそいつは廊下に転がったまま吠えていた。真っ赤に燃える目で私を睨み付け、鋸のような歯をギャリギャリと噛み鳴らす。私が近付けばそのまま飛び上がって首筋にでも噛みつくつもりなのだろう。だが私はもうそんなことはしてやらん。消し飛んだ両手足から血が流れだし、急速にそいつの力は失われていった。

それと共に、姿が人間のそれに戻っていく。鳴き声も止み、歯を噛み鳴らしていた音も止む。後に残ったのは、手足を失い血を流す山下沙奈の姿であった。

「沙奈ちゃん!?」

石脇佑香が叫んだ。

「やだ! どうして!? 月城さん! 何なのこれ!? 沙奈ちゃん! 沙奈ちゃん!!」

半狂乱になり叫び続ける石脇佑香を無視し、私は山下沙奈のもとに歩み寄った。

「せん…ぱい…無事…だったんですね…良かった…わたし…先輩まで殺さずに…済んだんですね」

廊下に転がった山下沙奈を静かに見下ろし、私は言った。

「心配いらん。お前ごときでは私は殺せない。私はお前の遊びに付き合ってやっただけだ」

その私の言葉に、山下沙奈はかすかに微笑んだ。

「そうだったんですか…ありがとう…ございます……」

血が流れ、もう目もよく見えていないであろう山下沙奈は、中空を見詰めながら言った。

「わたし…この力で私を串刺しにした奴らを…みなごろしにしてやろうと…思いました…だって、わたしを先に殺したのは…あいつらです…あいつら…あいつら人間じゃないです……」

そして最後に、絞り出すように言ったのだった。

「先輩…私はバケモノです…。でも、本当にバケモノなのはどっちなんですか……?」

『どっちがバケモノかだと…? バケモノはお前の方だ。そいつらはただの人間だ。ただのな。だが、どちらの方が苦しんだのかと言えば、それは当然お前の方だ』

力尽き、命が消え去ろうとしている山下沙奈に向かって私は心の中でそう言った。その私の後ろで、石脇佑香が泣き叫んでいた。

だが、私が閉じていた空間を戻した時、そこに倒れていたのは、山下沙奈だった。元の、<本来の山下沙奈>だ。腕も、脚も、髪も。流れ出た血もそこには無かった。

「いつまでそんなところで寝ている。起きろ」

私が声を掛けると、山下沙奈はハッと目を覚まし上半身を起こした。

「え…? 私、生きてる…?」

呆然とする山下沙奈に私は言った。

「生きてるも何も、今のお前があのくらいで死ねる訳がなかろう。人間としては死ねたかも知れんが、お前を食った化生、<ゲベルクライヒナ>は死なん。放っておいても二~三日で再生する。もっともその時には、人間としてのお前の意識は完全に消えてなくなって、それこそ殺意だけの怪物に成り果てていただろうがな」

廊下に座ったまま私を見上げるその目は、いつも怯えたように前髪越しに他人を見る、人間、山下沙奈であった。

「そうなん…ですか…?」

困惑したまま問い掛ける山下沙奈には応えず、私は命じたのだった。

「さっさと立て、立ってお前の家に案内しろ」

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