あなたのことは一度だってお父さんだと思ったことなんてない

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
73 / 126

孤狼

しおりを挟む
それは、見覚えのない狼だった。それに、この辺りを縄張りにしている狼の群れは、決して気軽に付き合えるような間柄ではなかったが、かと言って常日頃から互いに命を狙い合うほど険悪でもなかったはずだ。

<獲物のお裾分け>もしていたのだから。

けれど、今、イティラの前にいる狼は、完全に彼女を獲物として狙っていた。

『孤狼…か?』

彼女の頭によぎる言葉。

群れを追われた、もしくは自ら群れを持たずに流浪の生を送る狼のことである。

もしかすると単に巣立って他の群れに合流する前の若い狼の可能性もあるにせよ、それにしては<雰囲気>がありすぎる。巣立ったばかりの若い狼にはこれほどの殺気はなかなか出せないだろう。

イティラも決して詳しいわけではないものの、まったく知らないわけでもない。

狼の群れもそれなりに見てきたのだから。

なお、<獣人>であれば匂いで分かる、ましてや先日の<あいつ>の臭いは忘れたくても忘れられない。しかしこの狼は違う。あいつが狼の姿になっているわけじゃない。

おそらくは、

<純粋な狼>

けれど、それだけに話が通じる相手じゃない。ましてや向こうは完全にイティラを獲物として狙っている。

が、

『相手が狼なら、木の上にいれば大丈夫だし』

イティラはそう考えて、少しホッとしていた。

獣人は人間の姿をとればこうやって木の上にでも簡単に上れるものの、純粋な狼はそうはいかない。だからこうしていれば安全だ。あとは、狼が諦めるのを待つか、もしくはこのまま樹上を伝って逃げればいい。

そう思ってしばらく様子を見ようとしたイティラの背筋を、ゾッとした冷たいものが奔り抜けた。

「!?」

その直感に従い、別の枝へと飛び移る。するとまた、彼女が今の今までいたところを、何かが奔り抜ける。

そちらに視線を向けた彼女の目に、信じられない光景が。

あの狼が、まるで宙を駆けるかのごとく空中にいたのだ。

「なあっ!?」

思わず声を上げてしまう。

唖然とする彼女の前で、銀色の狼は、実に器用に木の枝や幹を蹴り、地上へと降り立った。そして樹上の彼女を睨みあげると同時に地面を蹴り、宙を舞う。そしてそのままやはり木の枝や幹を次々と蹴って、イティラへと迫った。

「何こいつっ!? ホントに狼!?」

再び声を上げながら、彼女はさらに別に枝へと飛び移った。なのに、銀色の狼もイティラが足場にしていた枝を蹴ってさらに迫る。

『ヤバい…! 逃げ切れない……っ!!』

イティラは、全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。と同時に、何とも言えない非現実感が。まるで全てが作り物にでもなってしまったかのような。

『死―――――!?』

それは、<死の直感>だったのかもしれない。彼女は、自身の命の終わりを悟ってしまったのだ。

『ごめん、ウルイ……! 帰れない……!!』

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

[完]僕の前から、君が消えた

小葉石
恋愛
『あなたの残りの時間、全てください』 余命宣告を受けた僕に殊勝にもそんな事を言っていた彼女が突然消えた…それは事故で一瞬で終わってしまったと後から聞いた。 残りの人生彼女とはどう向き合おうかと、悩みに悩んでいた僕にとっては彼女が消えた事実さえ上手く処理出来ないでいる。  そんな彼女が、僕を迎えにくるなんて…… *ホラーではありません。現代が舞台ですが、ファンタジー色強めだと思います。

お爺様の贈り物

豆狸
ファンタジー
お爺様、素晴らしい贈り物を本当にありがとうございました。

スナイパー令嬢戦記〜お母様からもらった"ボルトアクションライフル"が普通のマスケットの倍以上の射程があるんですけど〜

シャチ
ファンタジー
タリム復興期を読んでいただくと、なんでミリアのお母さんがぶっ飛んでいるのかがわかります。 アルミナ王国とディクトシス帝国の間では、たびたび戦争が起こる。 前回の戦争ではオリーブオイルの栽培地を欲した帝国がアルミナ王国へと戦争を仕掛けた。 一時はアルミナ王国の一部地域を掌握した帝国であったが、王国側のなりふり構わぬ反撃により戦線は膠着し、一部国境線未確定地域を残して停戦した。 そして20年あまりの時が過ぎた今、皇帝マーダ・マトモアの崩御による帝国の皇位継承権争いから、手柄を欲した時の第二皇子イビリ・ターオス・ディクトシスは軍勢を率いてアルミナ王国への宣戦布告を行った。 砂糖戦争と後に呼ばれるこの戦争において、両国に恐怖を植え付けた一人の令嬢がいる。 彼女の名はミリア・タリム 子爵令嬢である彼女に戦後ついた異名は「狙撃令嬢」 542人の帝国将兵を死傷させた狙撃の天才 そして戦中は、帝国からは死神と恐れられた存在。 このお話は、ミリア・タリムとそのお付きのメイド、ルーナの戦いの記録である。 他サイトに掲載したものと同じ内容となります。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

処理中です...