あなたのことは一度だってお父さんだと思ったことなんてない

京衛武百十

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何がおかしいと

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イティラが、森の中を駆ける。<美しい獣>として。

その前を猪が逃げていく。これは、イティラ自身が自らに課した<試練>だった。

「今日は、私一人で仕留めてみたいんだ」

朝、食事をしながら彼女はそう申し出た。

「ん……そうか。まあ、自分の力を試すのも必要だからな……」

唐突なそれに少し戸惑いながらも、ウルイは告げる。

「ただし、無理はするな。怪我をしたら元も子もない。それと、何か不審な気配を感じたりすれば、即、身を引くこと。<あいつ>がいつまた現れるか分からないからな……」

<あいつ>

例の獣人の青年だ。結局、名前すら分からないが、向こうから現れない限りはこちらから関わるつもりなど毛頭ないので、知らなくても別に困らない。むしろ知りたくもない。さっさと忘れたい。

それが本音だった。

そんなあいつが再び現れるなど考えたくもないものの、用心はしなければならない。

「うん。分かってる。無理はしないよ。そんなことしたら、ウルイが悲しむもんね」

それは、イティラ自身にとっても本音だった。実際には無理をしようと思っているのを誤魔化すために従っているフリをしているのではなく、本気でそう思っているのだ。

『自分にもしものことがあったらウルイが悲しむ』

それが実感できているだけでもイティラにとっては胸が熱くなる。

実の両親や兄姉からは、

<どうしようもない出来損ないの邪魔者>

として見られてきた。

<ただのゴミ>

だと。

だからイティラのメンタリティは、正確には『歪んで』いるだろう。年頃ともなればもっといろんなことに関心が湧き、『楽しみたい』と思ってしまうのが<普通>だと思われる。

なのにイティラは、おしゃれも美味い食事も楽しげな遊興にも興味が湧かなかった。ただただ、自分を受け入れて受け止めてくれるウルイの傍にいられることだけが、ウルイと共に生きていられることだけが。彼女の望みだった。

そして、

『彼の子を産みたい……!』

と、彼女は思った。

たぶん、彼女くらいの年齢でそこまで想うのも<普通>ではないだろう。

けれど、自分をこの世に送り出した親から<普通>に扱ってもらえなかった子供が果たして<普通>になど生きられるものだろうか? 

普通に扱わないで普通になってもらおうとか、あまりにもムシがよすぎないか?

だからイティラは<普通>ではない。普通ではないけれど、

『自分の大切な人と幸せな人生を送りたい』

と考えるのは、おかしなことではないのではないだろうか?

不器用で、不愛想で、気の利いたことも碌に言ってくれない。美味い物を食わせてくれるわけでも綺麗な服を買ってくれるわけでもない。

だけど、おそらく、今、この世で、彼以上にイティラのことを大切に想ってくれている者はいないはずだ。

狩りが上手くて、逞しくて、イティラを飢えさせることも苦しめることもしない。こんな男が他にそうそういるか?

そんな彼に惹かれて、いったい、何がおかしいというのだろうか?

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