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薄氷

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「!?」

自分に向かってきたイティラの姿を一瞬見失い、ドムグが混乱する。

しかしそれはまったくもって刹那の時間だった。

脳がイティラの動きについていけずに処理し切れなかったものの、草食動物の視界は非常に広い。見失った次の瞬間には、再び彼女の姿を捉えていた。

と同時に、巨体が反応する。

進行方向右へと凄まじい急角度で転進して見せた。

ただの人間では、その動きを見ただけで思うだろう。

『駄目だ…勝てない……』

と。

けれどイティラはそうじゃなかった。

逆に自分に勝機があることを確信した。

体が大きいがゆえにドムグの動きはほんの一瞬ではあるもののイティラについてこれない。重量がもたらすデメリットだ。

とは言えそれは、薄氷の上に置かれた果実を手にしようとするようなもの。僅かな読み違えが彼女に容赦ない死をもたらすだろう。

そしてイティラが死ねば、次は、必中必殺の一射のために全ての気力と集中力を費やしているウルイが死ぬ。

イティラでさえ、動きの面でギリギリ上回っている程度というほどの相手だ。いかに優れた狩人であるウルイといえど、身体能力そのものは人間の範疇を超えるものじゃない。この場から全力で離脱することを捨てた状態から逃げに転じるまでの間に、確実に手遅れになる。

しかも今回は、周囲に、ウルイでもスムーズに上れそうな丁度いいところに枝がある太い木がない。ウルイに比べれば体もずっと小さく身軽なイティラはまだしも、上るのにもたつけばたちまち追いつかれてあの槍のような角の餌食となるのは火を見るよりも明らか。

だからイティラは死ねない。負けられない。二人で生きるために、自身が出せる全てを振り絞る。

ドムグの動きを見て、その力をさらに精査する。

それに必要な情報を集めるため、イティラは周囲を右に左にと奔る。

こうして確証を深めると、角を突き出し突進してくるドムグ目掛けて走った。

無謀にも思える行動だったが、違う。彼女はしっかりと察していたのだ。そしてそれをより確実なものにするために動いたのである。

極端な前屈みの姿勢、両手で地面を捉え、四足歩行となり、そこからさらに地面に顎が触れそうなくらい姿勢を低く、また加速する。

イティラを捉えるために下げられた角の下をかいくぐり、ドムグの腹の下を通り抜けてみせた。

咄嗟に踏み付けようとしたドムグの足さえ躱しながら。

これが『一か八か』『破れかぶれ』でないところが、イティラの<才>だった。

『できる』と見抜いた上でやれるのだ。

『君がこいつを幸せにしてやってくれ』

とキトゥハに言われ、それを実現しようとたゆまぬ努力を続けてきたからこその芽生えであった。

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