あなたのことは一度だってお父さんだと思ったことなんてない

京衛武百十

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もう二度と自分の

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ほとんど廃屋のようにしか見えなくても一応は<家の中>で食事をしているというのに、狩人も少女も、昨日と変わらず互いに黙々とただ<命を繋ぐ作業>に没頭していた。

愛想よく笑顔を交わし互いの名を名乗ることもしない、実に寒々しい光景。

無理もなかった。狩人も少女も、そういうことは大の苦手だったのだから。

彼は心底人間嫌いで、少女は家族からの仕打ちによりコミュニケーション能力を失っていたのである。

だからここに至っても、二人は互いの名前さえ知らない。

もっとも、狩人の方は敢えて訊かないようにしていたというのもあるのだが。

この上、名前まで知ってしまったら、それこそ無関心ではいられなくなりそうだったから。

なのに、互いに無言のままでこうしている気まずさが、十分に焼けた肉の串を手に取り少女に渡そうとしたことに気を取られた彼の口を滑らせた。

「お前、名前は……?」

名前は訊くまいと意識していたことで逆にそれが口に出てしまったのだ。

『しまった……!』

慌てて塞ごうとしても後の祭り。つい視線を向けてしまった少女も、驚いたように彼を見ていた。

名前を訊くなんて、明らかに相手に<人格>があることを認める行為。ただの獣に名前など訊くはずもない。なにしろ、自分の家族にさえ、まともに名前で呼んでもらったことがなかった。

『お前』

『あんた』

『おい』

『出来損ない』

『クズ』

ほとんどそんな風にしか呼ばれたことがなかった。だから……

「…イティラ……」

少女は、イティラは、自分に<名前>があったことを思い出しながら、そう答えた。そして答えたと共に、ボロボロと涙を溢れさせた。

自分に名前があったことを思い出して、自分が名前を持っていることを思い出して……

もう二度と自分の名前など口にすることはないと思っていたのに……

ただの獣の一匹として森の中で死んで、他の獣に食われて土と糞になるだけだと思っていたのに……

もちろん、幼い彼女がそこまで具体的に自身の末路を思い描けていたわけじゃない。ただ何となくそうなっていくんだろうなとぼんやり想像していただけだ。

そしてそんな少女の様子に、狩人は静かに狼狽えていた。

分かりやすくオロオロとはしないものの、手にした串焼きの肉を何度か差し出したり引っこめたりしながら、どうすればいいのかを考えた。

だから、咄嗟に、

「ウルイだ……俺は、ウルイ……」

名前を問うたのだからせめて自分も名乗るべきかもしれないと思ってしまい、狩人は、ウルイは、自分の名を口にした。

それはある意味、ただの獣同士の出会いでしかなかったものが、

<人と人の出逢い>

に変じた瞬間だったのかもしれない。

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