私が異世界物を書く理由

京衛武百十

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第二幕

世の中にはさ、自分の家族に対する愚痴とかが溢れてるけど、確かに親兄弟姉妹については自分で選べないけど、<自分で選んだ結婚相手>について

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世の中にはさ、自分の家族に対する愚痴とかが溢れてるけど、確かに親兄弟姉妹については自分で選べないけど、<自分で選んだ結婚相手>については、その人を選んだ自分にも責任があるんだからね? 子供にとっての親とは全然違うよ?

それでどうして、

『自分を敬ってくれない! 労ってくれない!』

と一方的に被害者ぶることができるんだろうね。誰かに勝手に決められた結婚相手だったら別だけどさ。

とにかく相手ばっかりが一方的に悪いみたいな感じになってるよね。そういう愚痴を見てると。でも、そうやって相手ばかりに責任があると考えるような人だからこそ、相手も同じように、

『自分は悪くない!』

みたいな感じになるんじゃないの? 

ただ、だからって、イジメと同じで法に触れるような行いが正当化されるわけじゃないのも事実だからさ。DVとかについては、

<そういう相手を選んだ責任と報い>

については被害を受けた時点でもう受けてるわけだからまあ、相手の犯罪が正当化されるわけじゃないのは当然としても、犯罪とも言えないような範囲についてはさすがに一方的に被害者ぶるのは違うと思うけどね。

そうやって自分に<その人を選んだ責任>があることについてさえ自分でそれを負うこともできない人だから、それこそもう本当に一方的に身勝手にこの世に送り出した子供に対しても、

『自分の勝手でこの世に送り出したという事実さえ認められない』

なんてことになるんじゃないの? 私はなぜそれが認められないのかが不思議で仕方ないんだよ。自分が子供を勝手にこの世に送り出したという、何をどうしたって覆すことのできない明確な事実を認めることの何がそんなに怖いの? 

それを認めたって、別に子供の奴隷になったりはしないよ? むしろ子供を自分とは違う一人の人間なんだって素直に認められるようになって、そう接していたら子供からもちゃんと一人の人間なんだって思って接してもらえるようになったしさ。私のしてることが私に返ってきてるんだよ。

ってことは、

『自分が子供を勝手にこの世に送り出したことを認めてしまったら、自分は子供の奴隷になってしまうかもしれない』

なんて感じるのは、自分が子供を<奴隷>だと思ってるからじゃないの? 自分が好き勝手に扱うことのできる、<隷属すべき存在>だとさ。そう思ってそう扱ってるから、それが自分に返ってくると不安になっちゃうんじゃないの?

確かに子供が小さいうちは、なかなか大変だったりするよ。こっちの言ってることは理解してくれないしさ。だけどそれは、人間としてどう振る舞えばいいのかを学んでいる真っ最中だからだよ。

ちゃんと教われば、だいたい同じようにできるんだけどなあ。

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