私が異世界物を書く理由

京衛武百十

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『子供が学校に行きたくないと言い出したら?』私は行かせないよ。そんなことを言わずにいられないような学校なら行かせない。それに対して『甘やかし

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『子供が学校に行きたくないと言い出したら?』

私は行かせないよ。そんなことを言わずにいられないような学校なら行かせない。それに対して『甘やかしてる!』とか言う人間の言葉なんか知ったこっちゃない。

何度も言うけどさ、

<他人に厳しい人間>

ってのはね、

<自分に甘い人間>

なんだ。自分の考えや価値観や都合を他人に押し付けて、他人が自分の思い通りにならなかったらキレるってだけだからね。

私はさ、いくらこんなこと言ってたって、他人を自分の思い通りにしようとは思ってないんだよ。私の言ってることなんて他人は聞き入れないってのは分かってる。何度も言うように、これは、私自身に対して言い聞かせるためのもので、加えて、私の子供達に対して、親として伝えるべきこと、教えるべきこと、理解してもらうべきことを、書き留めておくっていう意味もある。

あと、こうやって文章に書き起こせば、自分で読み返すことで客観視もできるようになるしね。

『どうすれば子供達に伝わるだろう?』

『どうすれば子供達に理解してもらえるだろう?』

それを考えるためでもある。

私は自分の勝手で子供達をこの世に送り出した。それは紛れもない現実だ。その子供達を、他人にストレスを転嫁したり、現実逃避することでストレスを緩和したりしなきゃならない状態で放置するつもりはない。

学校でストレスを感じても、家に帰ればそのストレスを解消できる。そんな家庭であるためにはどうすればいいのか、私は親として努力するだけだよ。

なのに、その上で、子供達が、

『学校に行きたくない』

と言い出したなら、

<家でストレスを解消してもなお対処できない問題>

が学校にあるってことじゃん。それはもう、<尋常ならざる事態>だよ。だから、その問題を把握し、分析し、対処できる体制が整うまでは、行かなくていい。学校は勉強をしに行くところであって、命を懸けて行くような場所じゃない。

勉強は、学校でしかできないわけじゃない。

<命の危険>があるような、学校として機能してないような場所には、行かなくていい。

子供達の安全を守り健やかに生きていける環境を確保するのは、大人の役目だ。そのために努力する大人の姿を見て、子供は<大人>というものを学んでいく。

その努力を放棄しててなにが<大人>だよ。他人にストレスを転嫁したり、現実逃避することでストレスを緩和しなきゃならないような環境しか作れない<大人>に、尊敬する価値があるわけないじゃん。

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