私が異世界物を書く理由

京衛武百十

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『私は、誰かを死ぬまで追い詰めさせるために子供達を生んだんじゃないんだ』 私があれこれ言ってるのは、結局、これに行き着くと思う

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『私は、誰かを死ぬまで追い詰めさせるために子供達を生んだんじゃないんだ』

私があれこれ言ってるのは、結局、これに行き着くと思う。自分の子供を<人殺し>にするために生んだんじゃないから、

『子供達に対して人間として大事なことを伝えていくためにはどうすればいいのか?』

ってのを延々と考えてるってこと。

『面倒臭い』

とか、

『いちいちそんなことまで考えてられるか!』

とか、そんな理由で、

<自分の勝手でこの世に送り出した子供に人間として大事なことを伝えるという親としての重要な役目>

を、

『どうせ誰かが教えてくれる』

とか、

『そういうのは学校で教えることだろ』

とか言って、赤の他人に丸投げしようとは思わないんだ。

子供に、『<人間として大事なこと>を伝える』というのは、あくまで親の役目だよ。他人にやらせることじゃない。

てか、自分が仮にも<大人>として<社会人>として生きてるなら、自分の子供に教えることもできないほど、

『人間として大事なことを知らない』

ってことはないんでしょ? ないはずだよね?

でももし、

『自分の子供に人間として大事なことを教えられないほどそれを知らない。理解してない』

なら、それこそ子供に偉そうにするとか、おかしいじゃん。『自分の子供に人間として大事なことを教えられもしないほどそれを知らない。理解してない』で、いったい、何を偉そうにできるっての?

言葉で教えることができないってなら、普段の言動や振る舞いで<手本>として示せばいいじゃん。

『相手を敬うというのは、こうするんだ』

『相手を自分と対等な人間として接するというのは、こうするんだ』

って、やってみせたらいいじゃん。それこそ、母親と父親、お互いを敬い、自分と対等な人間として接する、というのを子供の前でやってみせればいいじゃん。

まさかそれさえできないっての?

『相手が自分を敬わないからだ!』

とか言って、<相手の所為>にして?

そうやって相手の所為にして自分の伴侶も敬えないって言うなら、子供に敬ってもらえなくても当然じゃないの?

本来、親なら、

『子供が学校にいる時間だけ、しかも一人にばかりかまけてられない』

っていう決定的な制限がある<学校の教師>とかと違って、いつでも、どこでも、徹底的に丁寧に、子供に対して<手本>を見せることができるのに、それをやりたくないって言うの?

なぜ?

『面倒臭い』から?

『いちいちそんなことまで考えてられない』から?

んん? 『人間を育てる』ってのを、その程度に考えてるの? <大人>なのに?

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