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迷いながらも、惑いながらも、失敗しながらも少しずつ進んでいってるんだ

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「さて……今夜はどうしようか? 今からじゃ宿を探すのも大変だし」

もう深夜だし、私はまだこの町のことはそれほど詳しくないから案内もできないし。

「せっかくきれいになったんだから野宿というのもね、キラカレブレン卿」

『キラカレブレン卿』。私がそう呼んで視線を向けた時、彼は少し困ったような、と言うか残念そうな顔をしたのが分かった。そして、

「私はもう、卿ではありません。そして、その名を名乗ることも許されてません。今の私は、ルイスベント・カインマクマスですよ」

って。

「あ……」

彼が、<ルイスベント・カインマクマス>と名乗ることにした理由が私にも察せられてしまった気がした。

「……もしかして、貴族のキラカレブレン卿としてじゃなく私と一緒にいられた時の名前だから…?」

確かめるように問い掛けると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

「はい。その通りです。あなたが私を、<キラカレブレン卿>としてではなく、ただの一人の男として扱ってくれていた時の名です。私にとってはもう、そちらが<本当の名>なのです」

「……まったく…言ってくれるわね……!」

サラッとそういうことを言えるのが本当に憎らしい。

憎らしくて……素敵、だと思う。

また胸がドキンとなって、顔が熱くなってくる。くっそぅ……!

チャラチャラして上っ面とその場のノリだけで生きてた、大学の頃、私の周りにいた男共に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいよ。特に、新歓コンパで未成年だった私に、お持ち帰りしようという下心丸出して酒を飲まそうとしてた男とかにね。ああいう奴をこの世界に身一つで放り出してやればどんな顔するか、見てやりたいね。

命を懸けて仕事をする覚悟もなく、目先の楽しさばかりを追い求めてるような奴らが、ちょっとしたことで命も落としかねないようなところで果たして生き延びられるのかどうか。

ただ、だからといって私がいた頃の日本が間違った方向に進んでるとは思わない。『昔はよかった』とか、『今時の若い者は』とか、それこそピラミッド中に落書きされてきたほど使い古されたフレーズを使うつもりもない。

どんな時代でもどんな世界でも、いい面もあれば好ましくない面もあるのが当然なんだ。あの頃の日本はまだ、<自由と責任>というものをしっかりと理解するまでの過渡期だったんだと思う。

人間は、迷いながらも、惑いながらも、失敗しながらも少しずつ進んでいってるんだ。それを一言で『間違いだ』なんて言いたくない。

そんなの、現実を見ることのできない甘ったれの言うことだと私は思うんだ。

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