上 下
136 / 535

今年の秋を目処にしてそちらにお伺いするつもりですが?

しおりを挟む
春を迎え、いよいよ本格的に作付けを行うという段階になって、私達のところに一人の男性が訪れてきた。旅の吟遊詩人だというその彼は、なるほど芸術家っぽい、繊細そうな印象のある人だった。

「タレスリレウトと申します」

路傍で、もしくは酒場などで歌を披露し、それで日銭を稼ぎつつ旅を続けてるらしい。

というていで。

正直、ここまでいろいろあったからか、このタイミングで私達に接触を図ってくる、正体不明な人物となると、私もなんとなくピンとくるようになってしまった。

「…書簡の件でしたら、お返事したとおり、今年の秋を目処にしてそちらにお伺いするつもりですが?」

<托鉢>よろしく屋敷の前で歌って、いくらかの施しを受けようとしてる彼に向かって、私はそう言った。

だけど彼は困惑顔で、

「すいません、何のことでしょう?」

とは言うものの、他に、この仮住まいのよりもっと立派な屋敷はあるのに、そっちでは歌ってた気配がなくいきなり私達のところにピンポイントに来るとか怪しさしかないのに、タレスリレウトはそう言ってやっぱり戸惑ってる風だった。

でもまあいいや。私の勘が当たってても外れてても、どっちでも。

ただ、歌はとても良かったと思う。この世界は私がいたところと比べるとどうしても<娯楽>が乏しく、もちろん音楽プレーヤーもDVDもないから、吟遊詩人が<仕事>として成立するんだろうけど、特に彼の歌声と彼の作ったという歌は、確かにお金を払ってもいいと思えるほどだった。

「…なんだったら、しばらくうちにとどまってく? あなたの歌も聞きたいし」

そう言って彼を招き入れた私に、

「あまり勝手なことをされると困るんですが…」

とブルクバンクレンさんは渋い顔だ。

「もしもの時はあなた方が守ってくれるんでしょ? 私は大事な客人なんだから」

って、無理矢理連れてきた件に対しての皮肉を込めて言わせてもらった。

「仕方ないですね…」

ブルクバンクレンさんも肩をすくめて首を振る。そう言われては言い返す言葉もないんだろう。

「いいんですか? もちろん私もあなたを守るつもりですが」

ルイスベントも、タレスリレウトが暗殺者とかの類という可能性を懸念してるみたい。私ももちろんそれは考えたけど、今さらこんな持って回ったやり口でなんて、正直、そっちの方がピンとこなかった。

「だから近付かないようにしますよ」

彼には中庭の端にいてもらって、私は衝立の裏で、しかもすぐ横にルイスベントとブルクバンクレンさんについてもらって、その歌声に耳を傾けたのだった。

しおりを挟む

処理中です...