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斉藤敬三
斉藤さん
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今、敬三と若い刑事が向かっているのは、子供に対する虐待の疑いである夫婦に任意同行を求める為の家だった。かねてから何度か児童相談所や警察に対して通告があり、児童相談所が対応していたのだが、居留守を使われたり大声で怒鳴って追い返そうとしたりで子供に面会すらできない状態だった。
しかしその後も根気強く様子を窺い、怒鳴り声と人が壁に叩きつけられるような大きな物音や、下着姿のまま深夜にベランダに放り出されていたのが確認されて虐待の疑いが強まったということで、子供の保護と同時に両親に事情を聴こうというのである。今回は警察も伴って。
本当はもっと早くに保護したかったのだが、現状での<法律の壁>に阻まれて、しっかりと確認してからでしかここまでのことはできなかった。が、動くとなれば一気呵成に確実に対処しなければならない。
そして二人が向かっているところの家人の名前も、<斉藤>。珍しい苗字ではないのでこれまでにも何度かあったことだが、敬三はついつい苦笑いを浮かべてしまう。
『完全に同姓同名の<斉藤敬三>って容疑者もいたことがあったな。まったく、冗談じゃないぜ』
なんてことを思いつつ、目的の家の近くへと辿り着いた。そこは古びたマンションの一室だった。先に待ち合わせ場所に来ていた児童相談所の職員らと合流し、
「では、私達がまず対応します。それでもし駄目だった時にはよろしくお願いします」
子供の保護に素直に応じてくれればそれでよし。でなければ、ということだった。
「はい、承知しています。では、行きましょうか」
と向かったが、相手の出方は<案の定>というものだった。
「知らねえ! お前らにうちの家庭のことが関係あんのか!? 何の権利があってこんなことしてんだ!?」
などといかにもなことを言って、父親らしき三十手前の若い男がごねた。
そこで、敬三の出番である。
「斉藤さん。我々はあなたに詳しく話を聞きたいだけですよ。素直に応じていただければそんなにお手間も取らせませんし」
なるべく丁寧に話しかける敬三に対しても、男は、
「るせぇってんだよ! 帰れよ! 他にもっと捕まえなきゃいけねーのがいるだろが! 俺達みたいな善良な一般市民をイジメんじゃねえよ!」
と喚き散らしながら、手にしていた火の点いた煙草を敬三の足元へと叩きつけた。瞬間、それまでは穏やかな感じで微笑んでいるようにも見えた斉藤の目がすっと細められ、体の中にギリっとした力が込められた。
その気配は男にも伝わり、
「お前、刑事だろ!? 刑事が一般市民を殴るのか!? そんなことしたら特別公務員暴行陵虐で訴えてやる! 国家賠償請求してやる!!」
とまで言ってのけた。
すると敬三は呆れたように苦笑いを浮かべながら、すっと手を挙げた。
それに反応するかのように、男の拳が敬三の左頬を捉えていた。反射的に手が出てしまったらしい。
もっとも、敬三の方は、手を上までもっていき、頭を掻いただけだったが。
「ふん。そう言えば俺がお前を殴れないと思ってたってことか? 自分の方が立場が上だと、殴られないと思ったから殴ったってか? だからお前の拳は軽いんだよ。痛くも痒くもねえ。お前みたいな奴の拳より、あの人のビンタの方がよっぽど痛かったぜ」
「? ? お前、何言って……?」
「まあ、それはいいからいい加減、大人しくしてもらえませんかね? 斉藤さん。同じ<斉藤>のよしみで穏便に頼みますよ、斉藤さん」
そう言った敬三の目は、まるで獲物を仕留めようとする肉食獣のようにギラリと光っていたのだった。
しかしその後も根気強く様子を窺い、怒鳴り声と人が壁に叩きつけられるような大きな物音や、下着姿のまま深夜にベランダに放り出されていたのが確認されて虐待の疑いが強まったということで、子供の保護と同時に両親に事情を聴こうというのである。今回は警察も伴って。
本当はもっと早くに保護したかったのだが、現状での<法律の壁>に阻まれて、しっかりと確認してからでしかここまでのことはできなかった。が、動くとなれば一気呵成に確実に対処しなければならない。
そして二人が向かっているところの家人の名前も、<斉藤>。珍しい苗字ではないのでこれまでにも何度かあったことだが、敬三はついつい苦笑いを浮かべてしまう。
『完全に同姓同名の<斉藤敬三>って容疑者もいたことがあったな。まったく、冗談じゃないぜ』
なんてことを思いつつ、目的の家の近くへと辿り着いた。そこは古びたマンションの一室だった。先に待ち合わせ場所に来ていた児童相談所の職員らと合流し、
「では、私達がまず対応します。それでもし駄目だった時にはよろしくお願いします」
子供の保護に素直に応じてくれればそれでよし。でなければ、ということだった。
「はい、承知しています。では、行きましょうか」
と向かったが、相手の出方は<案の定>というものだった。
「知らねえ! お前らにうちの家庭のことが関係あんのか!? 何の権利があってこんなことしてんだ!?」
などといかにもなことを言って、父親らしき三十手前の若い男がごねた。
そこで、敬三の出番である。
「斉藤さん。我々はあなたに詳しく話を聞きたいだけですよ。素直に応じていただければそんなにお手間も取らせませんし」
なるべく丁寧に話しかける敬三に対しても、男は、
「るせぇってんだよ! 帰れよ! 他にもっと捕まえなきゃいけねーのがいるだろが! 俺達みたいな善良な一般市民をイジメんじゃねえよ!」
と喚き散らしながら、手にしていた火の点いた煙草を敬三の足元へと叩きつけた。瞬間、それまでは穏やかな感じで微笑んでいるようにも見えた斉藤の目がすっと細められ、体の中にギリっとした力が込められた。
その気配は男にも伝わり、
「お前、刑事だろ!? 刑事が一般市民を殴るのか!? そんなことしたら特別公務員暴行陵虐で訴えてやる! 国家賠償請求してやる!!」
とまで言ってのけた。
すると敬三は呆れたように苦笑いを浮かべながら、すっと手を挙げた。
それに反応するかのように、男の拳が敬三の左頬を捉えていた。反射的に手が出てしまったらしい。
もっとも、敬三の方は、手を上までもっていき、頭を掻いただけだったが。
「ふん。そう言えば俺がお前を殴れないと思ってたってことか? 自分の方が立場が上だと、殴られないと思ったから殴ったってか? だからお前の拳は軽いんだよ。痛くも痒くもねえ。お前みたいな奴の拳より、あの人のビンタの方がよっぽど痛かったぜ」
「? ? お前、何言って……?」
「まあ、それはいいからいい加減、大人しくしてもらえませんかね? 斉藤さん。同じ<斉藤>のよしみで穏便に頼みますよ、斉藤さん」
そう言った敬三の目は、まるで獲物を仕留めようとする肉食獣のようにギラリと光っていたのだった。
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