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斉藤敬三

卑怯者

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『だから先生は、ルールを破った自分が許せないんだ』

この時の言葉は、今でも敬三の耳にはっきりと残っている。寂しそうな笑顔を浮かべて、自分を真っ直ぐ見詰めていた梢の声と共に。

「だから俺は、ルールを破りながらのうのうとしてる奴らに冷や水を浴びせてやる為に、警察官になったんだ」

と、敬三は言う。

ルールを破った自らに厳しく当たった梢の姿に比べれば、法を蔑ろにしておきながら言い訳を並べて自らを正当化しようとし、あまつさえ逆ギレするような奴がどうしようもない幼稚なロクデナシにしか見えなかった。

まだ警察官になったばかりの頃、抗議デモの整理の為に駆り出された時、デモ隊の一人が、警官の指示を無視して道路に飛び出し、それを除けようとしたバイクが転倒して事故になったことがあった。

その時の、原因になったデモ隊の一人の、

「俺達の正しい主張を聞き入れないからこんなことになるんだ!!」

という、逆ギレ以外の何物でもない発言に、敬三は心底呆れたという。しかもそのデモ隊の構成員は事情を聴く為に任意同行を求める警察官の顔を殴り、結局、公務執行妨害の現行犯で逮捕された。その時にも、

「お前らは正義を力尽くで抑え付けようとするのか!? 悪辣な体制の犬が!!」

と、明らかに<悲劇の主人公>を気取った芝居じみたセリフを吐いたという。

刑事になって強行犯係に配属されてからも、自分勝手な<正義>を振りかざす犯罪者達を数限りなく見てきた。それは、希望して少年課に配置転換されてからも大きくは変わらない。

子供を殴り、折檻して逮捕される親の殆どが、『躾だった』『必要だったから殴った』『殴らないと子供はロクな大人にならない』的なことを口にした。

そして、敬三は、自分が教育係となる為にコンビを組まされた若い刑事に言った。

「お前、こういう親は殴ってやるべきだと思うか?」

その問い掛けに、若い刑事は食い気味に、

「そうっすね! こういう奴らは同じ目に遭わせてやらないと分からないんですよ!」

と答えた。それに対して敬三は苦笑いを浮かべつつ諭す。

「お前、それじゃあいつらと同じだぞ」

「はい? なんでですか?」

「体罰の何がマズいのか、お前には分からないのか? なら、教えてやる。体罰ってのはな、『自分より弱い相手にしか通用しない』んだよ。

そしてそれは、なにも体力的なことに限ったものじゃない。立場や権威や権力ってものが絡んでもそうだ。お前は、自分が刑事だから、国家権力が背後にあるのが分かってるから、ああいう奴らを殴ることができるかもしれん。

だがな、お前、もし署長の息子が悪ガキだったら、躊躇なく殴れるか?」

「え? あ。それは……」

「そういうことだ。相手によって殴れたり殴れなかったりする。こんな不公平、お前は本当に納得できるのか? 『殴っていただいてありがとうございました』って思えるのか?

それに気付かれたら、もうお終いなんだよ。相手によって殴れたり殴れなかったりする卑怯者の言うこととか、誰が信用してくれる?

まあ、ドラマの中じゃ、格好よく自分より強い相手、立場が上の相手も殴れたりしてるが、そんな奴、現実世界のどこにいる? いやしねえだろ。一万人に一人くらいはそういう頭おかしいのもいるかもしれないが、普通はそうじゃない。殴っても大丈夫な相手しか殴れないもんだ。

俺は、そういう卑怯者が大っ嫌いだったんだよ」

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