上 下
24 / 283
もえぎ園

分娩

しおりを挟む
館の中には分娩室も完備され、看護師と思しき人間の姿も見られた。しかし看護師達は一切口をきこうとはせず、ただ自分の仕事に集中していた。

「さあ、好羽このは。これからが本番よ。

あなたのことを愛せなかったかもしれないあなたのお母さんも、これを乗り越えたの。だから心配しないで。あなたにもできるわ」

白衣に着替え、好羽の手を握って幸恵ゆきえはそう言った。

『そうか……あの人もこうやって私を生んだんだ……

じゃあ、私がここでへこたれたら、あの人に負けるってことになるんだ……!』

そう考えると、不思議と不安や恐怖が和らいでくる気がした。

『あんな人に負けたくない!』

自分のことを、ゴミを見るような目で見た母親にも、そんな女を選んだ父親にも、負けたくないと思った。自分もちゃんと赤ん坊を生んで、それから勉強して見返してやるんだ!と思った。

それが、分娩が始まったが故の興奮状態からくるただのノリだとしても、少なくともその時の彼女はそう思っていた。

『負けるか! 負けるか! 負けるか! 負けるかぁっ!!』

呪文のように何度も何度も心の中でそう唱えて、でも実際に口から洩れるのは、「あーっ!」「んがぁああぁーっっ!!」といった意味不明な雄叫びだったが、全身から汗を拭き出しつつ、涙と鼻水を垂れ流しながら、好羽は気力を振り絞った。

『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっっ!!』

『負けるか負けるか負けるか負けるか負けるかっっ!!』

複数の思考が同時に頭の中をでたらめに奔り抜け、意識が朦朧となっていく。それなのに何故か自分の下腹部から届く感覚だけは鮮明になっていって、体の中を<何か>がゆっくりと回転しながら降りていくのが分かった。

「っぐああぁああぁぁーっっ!!」

叫んだ好羽に、幸恵が声を掛ける。

「今よ! いきんで!! 思いっきり!!」

「っだらぁ! しぃねぇええぇぇっっ!!」

『死ね!』。好羽はこの時、確かにそう叫んだが、果たしてそれが何に向けてのものだったのか、そもそも本当に『死ね』と言いたかったのか、それは好羽自身にも分からなかったと言う。

だがその瞬間に、バツン!と何かが自分の中で弾けるような感覚と同時にずるんっと滑り出す感覚があり、彼女の意識は一瞬、真っ白に途切れたのだった。

けれど、それからしばらくして、好羽は何かの声が聞こえてくるのに気付いた。

『…猫…? 猫が鳴いてる……?』

「にゃあ、にゃあ」という猫の鳴き声が聞こえてきたのだ。でもそれが猫ではないと気付くのに、そう時間はかからなかったのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仮初家族

ゴールデンフィッシュメダル
ライト文芸
エリカは高校2年生。 親が失踪してからなんとか一人で踏ん張って生きている。 当たり前を当たり前に与えられなかった少女がそれでも頑張ってなんとか光を見つけるまでの物語。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

世の中色々な人がいる、ということに時々疲れる。

月澄狸
エッセイ・ノンフィクション
世の中色々な人がいる。ハッピーな時に聞いたら素敵な言葉だ。まだ見ぬ世界が広がっていて、これから色んな人に出会う可能性があるのだから。 でも色々な人がいるということは、色々考慮しないといけないわけで。善なのか悪なのか判断のつかないこともある。世界に善も悪もないけれど。

朽ちる世界の明日から

大山 たろう
現代文学
その日、上原 弘樹は、寝坊をした。 いつもより遅い時間の電車に乗って、でも、いつもの学校。 けれど、いつもの学校は永久に失われてしまった。 偶然にも、『寝坊』したせいで生き残った彼と、偶然同じ電車に乗った彼女の、旅の話である。

君だとわかってたんだ

十条沙良
現代文学
アイドルデビューを目指す少年達の物語

死なせてくれたらよかったのに

夕季 夕
現代文学
物心ついた頃から、私は死に対して恐怖心を抱いていた。生きる意味とはなにか、死んだらなにが残るのか。 しかし、そんな私は死を望んだ。けれどもそれは、悪いことですか?

私の神様は〇〇〇〇さん~不思議な太ったおじさんと難病宣告を受けた女の子の1週間の物語~

あらお☆ひろ
現代文学
白血病の診断を受けた20歳の大学生「本田望《ほんだ・のぞみ》」と偶然出会ったちょっと変わった太ったおじさん「備里健《そなえざと・けん」》の1週間の物語です。 「劇脚本」用に大人の絵本(※「H」なものではありません)的に準備したものです。 マニアな読者(笑)を抱えてる「赤井翼」氏の原案をもとに加筆しました。 「病気」を取り扱っていますが、重くならないようにしています。 希と健が「B級グルメ」を楽しみながら、「病気平癒」の神様(※諸説あり)をめぐる話です。 わかりやすいように、極力写真を入れるようにしていますが、撮り忘れやピンボケでアップできないところもあるのはご愛敬としてください。 基本的には、「ハッピーエンド」なので「ゆるーく」お読みください。 全31チャプターなのでひと月くらいお付き合いいただきたいと思います。 よろしくお願いしまーす!(⋈◍>◡<◍)。✧♡

このユーザは規約違反のため、運営により削除されました。 前科者みたい 小説家になろうを腐ったみかんのように捨てられた 雑記帳

春秋花壇
現代文学
ある日、突然、小説家になろうから腐った蜜柑のように捨てられました。 エラーが発生しました このユーザは規約違反のため、運営により削除されました。 前科者みたい これ一生、書かれるのかな 統合失調症、重症うつ病、解離性同一性障害、境界性パーソナリティ障害の主人公、パニック発作、視野狭窄から立ち直ることができるでしょうか。 2019年12月7日 私の小説の目標は 三浦綾子「塩狩峠」 遠藤周作「わたしが・棄てた・女」 そして、作品の主題は「共に生きたい」 かはたれどきの公園で 編集会議は行われた 方向性も、書きたいものも 何も決まっていないから カオスになるんだと 気づきを頂いた さあ 目的地に向かって 面舵いっぱいヨーソロー

処理中です...