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この程度のことの何が

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親に捨てられながらも、ランガの命は、人間にしては力強いものだったと思う。

一時いっとき毎に僕の乳を求めて泣き、乳を与えるとしっかりと飲み、糞も小便もたっぷりと放ち、見る見る大きくなっていく。

ほとんど寝る暇もなかったが、竜神である僕にはどうということもない。

ランガは、僕の顔をすごくまじまじと見てきた。だから僕も、ランガの顔をよく見た。

人間は<言葉>がないと相手の気持ちや考えを推し量ることもできぬと言うが、僕にとっては『推し量ることできない』というのが分からない。ランガは顔だけでなく泣くだけでなく、全身で己を伝えようとしているぞ?

腹が空けば泣く。糞や小便が出て気持ち悪いと感じれば泣く。寒いと感じれば泣く。暑いと感じれば泣く。気持ちが悪ければ泣く。恐ろしいと感じれば泣く。しかもそれぞれの泣き方も違う。

これだけでも十分に何が言いたいのか分かるじゃないか。

乳を飲んだ後にげっぷをさせないといけないのは少々面倒だけどな。

それでも、その程度の面倒など、相手が生き物であれば当然だろう。人間は、大人になっても他人にあれこれと面倒をかけるじゃないか。しかも、いつまで経っても<神>に頼って自分の足で立つこともできない。<国>を維持することもできない。そんな奴らが赤子を侮るとか、片腹痛いわ。

ランガは我儘を言い駄々をこね僕を煩わせようとしたが、人間の大人共が僕を煩わせようとすることに比べれば、それこそ他愛もない。話を聞いてやれば大抵は片が付く。僕がランガの言葉に耳を傾けようとしなければ、振り向かせようとして大きな声を出す。それだけの話だ。

この程度のことの何が苦痛だと言うのだ。人間共は。

十になる頃にはランガは、森の中を駆け回り、木を上って自分で木の実を採り、兎を追いかけて捕らえようとし始めた。

人間は非力で脆弱だが、それでもまあ、自分の食い扶持くらいは自分で得られるようにもなってくる。

ただ、それ以上となってくると、自分の力だけではどうにもならなくもなってくるな。それなりの<家>を用意しようと思えば、他者の力も頼らざるを得なくなってくる。

今の<小屋>ではさすがに手狭になってきたんだ。

獣ならそんなことも気にしないのかも知れないが、<竜神の姿>をしている時の僕の寝床も、僕の体と比べれば似たような広さだが、不思議と人間の体をしていると気になってきてしまう。

だから僕は、ランガを連れて洞の方へと移ることにした。

「これが新しい家か…?」

洞に入ったところに建てられていた祠を見てランガが言う。

「いや、違う。家はその奥に作る」

僕はそう言って祠の脇をすり抜けて奥に入ったのだった。

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