上 下
542 / 571
第三幕

私はこうして、何だかんだと悠里や安和や椿と話してるけど、たぶん、これでも言いたいことの全部は話せてないと思う。 だからまあ

しおりを挟む
『私はこうして、何だかんだと悠里ユーリ安和アンナ椿つばきと話してるけど、たぶん、これでも言いたいことの全部は話せてないと思う。

だからまあ、私の作品すべてが、ある種の<伝えたいことの備忘録>になってる感じかな。

親が子供に伝えなきゃいけないことって、<長編小説一本分>程度のボリュームじゃ全然収まりきらないはずなんだよね。

しかも、一度話しても伝わってないと感じたら、何度でも、伝わるまで伝えなきゃいけないしさ。

親はさ、自分の子供達に対して、『親であること』をやめることはできないんだよ。

それこそ、子供に対して虐待でもして<親権停止の判決>でももらわない限り、ね。

少なくとも私はその覚悟を持って悠里や安和や椿と接してる。『育てさせてもらってる』。だから、少なくとも私が生きてる間は、責任が消えてなくなることはないと思ってる。

でもね、その一方で、何の関係もない赤の他人がどこかの親に罵詈雑言ぶつけることも許されないことだと思う。

だって、何の関係もない、その親が何か責任を負わなきゃいけない相手でもないのから罵詈雑言ぶつけられなきゃいけない道理もないからさ。

だから、悠里も安和も椿も、何か不平不満があるなら、まず、私か、ミハエルに言ってほしい。他の人に八つ当たりしないでほしい。

あと、これも何度も言うけど、他人に悪態吐いたり罵詈雑言ぶつけたりってのは、マナーに反する、礼儀礼節を蔑ろにする行為だからね? 親にまともに躾けてもらった人間ならしないはずのことなんだ。

それをするってことは、『自分は親に躾けてもらってません!』とか、『自分の親は子供を躾けることもできない無能でした!』とか、そういうことを公言してるのと一緒だから。

私はまあ、自分が<有能な親>だとか思ってないからその部分についてはどうでもいいんだけど、少なくとも、自分の子供が他人様に迷惑掛けてるのを黙って見過ごすことはできないししないんだよ。

子供が何歳になっても、伝えるべきことがちゃんと伝わってないとなったら、改めて伝える努力はするよ。見て見ぬフリはしない。

そういう意味では、私の作品そのものが、<親のお説教>っていう意味も含んだ物になるのかもね。<お説教>って、やっぱ嫌じゃん? いい気しないじゃん? だけどさ、<必要なお説教をしない親>って、どう思う? それ、まともな親って言えるかなあ?

子供達が私の作品を読んだ時、私が伝えたいと思ってることが伝わるようなものであってほしいと思う。

私はね、<人の親>なんだよ。

だから親として必要なことは言うんだ。たとえみんなに疎まれてもね。

でも同時に、どうすればちゃんと伝わるのかっていうのを考え続けることもやめないけどさ。

どういう言葉を使えば、どういう言い回しをすれば、伝わるのか?

それを考えるのをやめたら、私は創作者でいる意味がないと思う』



そうだね。僕も、アオと一緒に<親>をしてるんだ。

<親という立場>は、親か子供のどちらかの命が終わるまで消えないからね。

しおりを挟む

処理中です...