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第三幕

『自分はそういうのが好き』ってだけでいいじゃん。なんで他人の好みに口出しすんの? 自分の好きなものを他人の好きでいるのが

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『まあね、『悪役の悲しい過去とか要らない!』とかって話だって、そういうのが好みなのは別にいいんだよ。好みなんて人それぞれだからさ。

だけどそれがスタンダードだとか普通だとか言って自分の好みを押し付けようとするのは違うと思う。『自分はそういうのが好き』ってだけでいいじゃん。なんで他人の好みに口出しすんの? 自分の好きなものを他人の好きでいるのが当然みたいに思うの? そんなに自分を認めてもらいたいの?

でもね、小さな子供だったらともかく、いい歳したのがそんな調子じゃ、引かれるだけだよ?

自分だって他人の好みを押し付けられたら気分悪いでしょ? 

なんでそれが分かんないのかなあ。

あ、そうそう、それで言うとさ、『自分がされて嫌なことは他人にもしない』ってのがあるけど、まあそれすらできてない人も少なくないけど、でも、そういうのって普通だよね。誰でも思い付く話だと思う。

だけど、『自分は別に平気だけど、他人は嫌がる』っていうこともあるじゃん? 私は、実はそれが大事だと思ってる。子供達にもそれを言い聞かせてる。『自分は平気だけど、もしかしたら他人は嫌かもしれない』そこに思い至るのが、<思い遣り>ってもんだと思うんだよ。自分がよかれと思ってやってることが実は他人を傷付けてたり苦しめてたりってことがないかと気遣える。

それができたらさ、自分の好みを他人に押し付けたりってことも減ると思うんだけどなあ。

あと、<正義の押し付け>もね。『そんなことできるわけないじゃん! 世の中はそんな綺麗事とか通用しないんだよ!』とか言うかもしれないけど、でも、いいの? 『綺麗事とか通用しない』で、世の中の嫌なところを肯定しちゃって、それで自分が被害に遭ったら、納得できんの? 『だから仕方ない』で済ませられんの? 自分が被害に遭った途端に被害者面したりするんじゃないの? 『自分は被害に遭いたくないけど他人が被害に遭うのは仕方ない』って? そんなこと考えてるのが他人に信頼されると思ってんの?

他人に大切にしてもらえるとか思ってんの?

私はそんな風には思えない。そんな風に思ってる私だったら、ミハエルは私を選んでくれてないよね。

悠里ユーリ安和アンナ椿つばきも私を信頼してくれてないんじゃないかな。

たとえそういう世の中だとしても、自分が変えることはできないとしても、せめて自分の周囲だけはそうじゃないようにしたい。私の大切な人に対しては、たとえ小さな小さな範囲だったとしても、そうじゃない世界を提供したい。

それでいいじゃん。大層なことなんてできなくてもいいじゃん。

自分の身の回りだけでも<優しい世界>を作ろうよ。

これも、私の創作の原動力の一つかな。

私の作品の中だけでも、そういう世界を作りたいっていうのもある』

そうだね。自分がそういう世界を作ろうとしない限り、実現はしないんだ。

世界全部は無理でも、自分の家庭内だけでも、そういう世界を作る努力をしなくちゃね。

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