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第三幕

<原因>のないところに<結果>は生まれないよ。どんなことでも、<結果>があるのなら、そこには<原因>があるんだ

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<原因>のないところに<結果>は生まれないよ。

どんなことでも、<結果>があるのなら、そこには<原因>があるんだ。

これについても、アオは考えてる。

「フィクションでさ、とんでもない<不良>みたいなのが出てきて、それでそいつの母親とかがすごく『いい人そうに見える』って描写あるじゃん。で、

『母親はこんなにいい人なのにどうして息子はこんなグレたんだ?』

って言うのいるじゃん。

そんな風に思う時点で、『一面しか見てない』ってのが分かるんだよね。

だって、そのフィクションに描かれてる母親の姿がすべてとは限らないじゃん。しかも、父親の描写がなかったら、もしかしたらその父親がとんでもないDV男でそっちに似ただけかもしれないじゃん。

描かれてないところの情報がないのに、『母親はこんなにいい人なのにどうして』って考えるだけ無駄だよ。理解しようと思うなら、描かれてないところこそを見ようとしなきゃ。

もっとも、フィクションでは、そういう母親は、

<可哀想な被害者の一人>

として描かれるだけなんだから、<可哀想な被害者の一人>じゃなくなっちゃうような余計なところは描かないよね。

あと、

『親がどんなにいい人でもグレる奴はグレる』

とか言ってるのも、子供を育てたことがないからこそだろうね。

そして、

『結果には必ず原因がある』

という現実から目を逸らしてる。

<原因>がなければ<結果>は生まれないんだよ。

『親がどんなにいい人でも』なんてのは、物事を理解しようとしてないって私は思う」

とね。

そして彼女はそれを、他人を攻撃するために考えているわけじゃないんだ。自分自身を戒めるために、自分自身が現実から目を背けないようにするためにそれを考えているに過ぎない。

『子供は現に親に面倒見てもらってるから生きられるんだ! 現実を見てないのはお前らの方だろ!』

と言うかもしれないけど、それでは、子供を育てるのが必ずしも<実の親>でなくても大丈夫なのはなぜ? <施設>で育った子供は誰に対して<恩>を返せばいいの? 

施設の職員? でも、施設の職員は<仕事>としてそれをしているだけだよね?

そして、別にその職員でなくてもいい。

『そんなややこしく考えなくても育ててもらったんだから恩を感じるのは常識だろ!』

と言うかもしれないけど、それを言うのなら、

『他人を口汚く罵るのはよくない』

『他人を嘲るのはよくない』

『他人を差別するのはよくない』

『他人をイジメるのはよくない』

こんな簡単な<常識>を守れない人間が多いのはなぜ? そんな簡単な常識さえ守れなくて、『育ててもらったんだから恩を感じるのは常識だろ!』とは、いったい、どの口が言うのかな?

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