ショタパパ ミハエルくん(耳の痛い話バージョン)あるいは、(とっ散らかったバージョン)

京衛武百十

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第三幕

人間とは根本的にメンタリティが違う

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明け方。悠里ユーリが帰ってきた。すごく上機嫌な様子で。

「じっくり観察できた。良かった」

そう言いながらスケッチを見せてくれる。

そこには、セルゲイのそれに比べればまだまだ拙いものだけど、捉えたムクドリを貪るオコジョの姿が力強く描かれていた。

それ以外にも、毛繕いをしている姿とかも、生き生きしたタッチだった。いい枝と、僕も思う。

捕えたムクドリを貪るオコジョの姿を描いてこんなに上機嫌な様子だということに、人間は、

『サイコパスなんじゃないの?』

的な印象を持つかもしれないけど、彼はダンピール。人間とは根本的にメンタリティが違う。

野生の動物が生きるために獲物を捕食する光景を人間は『残酷だ』と感じるかもしれなくても、僕達吸血鬼やダンピールからすればその感覚が理解できない。

生きるために他の命を食べるのは、これは明確な<摂理>だ。そこに『可哀想』という感性を持ち込むのは、本質を歪める行為でしかないと僕は思う。

可哀想だと思うのは自由でも、それを実際に野生の生き物に押し付けるのはただの傲慢だ。

悠里は、目の前の事実をただ事実と捉え、懸命に生きようとしているオコジョの姿に触れられたことを喜んでいるだけでしかない。

僕達は人間よりもその事実を客観的に捉えられるというだけなんだ。

ムクドリにとっては<厳しい現実>であり<悲しい結末>でも、オコジョにとっては<自らの命を長らえられる喜び>でもある。その両方の視点を持てなければ、物事は正しく認識できない。ましてや、

『動物を殺して食べるのは可哀想でも、植物なら殺して食べてもいい』

なんて考え方は、僕達吸血鬼やダンピールにとっては最も理解し難いものだ。

<生きる>ということの本質を歪める捉え方だとしか感じ取れない。

それでも、個人の信条として持っているだけなら好きにすればいいと思う。他に食べられるものがあるのなら、食べたくないものを無理に食べる必要もないからね。なのに、他人にまで押し付けようとするから軋轢が生じる。

『好き嫌いするな!』

という考え方も、これはこれで理解できないな。だって、食べたくない人には最初から出さずに他の人が食べるようにすれば無駄にならないよね? 好き嫌いしてはいけないのなら、何かの理由で違う食文化圏に行った時に、たとえば昆虫食を当然のように行っている地で昆虫を出されて、それを躊躇なく食べられるの?

そうでなくても、例えば、加工食品に何らかの昆虫の卵が混入しているのは当然で、稀にそれが孵化してしまうこともあるのを分かっていてその加工食品を作っている現地の人は普通に食べていて実際に健康にも害はないものを、『昆虫の卵が入っている可能性がある』と分かった上で食べられるの? 

『好き嫌いするな!』と言うのなら、そういうところまで考えないと筋が通らないんじゃないの?

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