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第三幕

勉強のそれのように

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「どう? 調子は?」

アオが、温めたミルクをテーブルに置きながら、椿つばきに尋ねた。

「うん、いつもどおりかな」

そう応える椿の顔色や表情をよく見るだけじゃなく、声の調子や細かい仕草についても、僕は見た。もちろんアオも、椿を見てる。

口ではどんなに『大丈夫』と言ってても、本当は大丈夫じゃなかったら、顔色や表情や声の調子や仕草には出るからね。

僕もアオも、親として、子供のそういう部分についてはしっかりと見るようにしてる。

学校でなにか嫌なことがあって、『行きたくない』という気分の時には、しっかりとそれが表情や声の調子に出る。僕達はそれを見落としたくない。

そしてもし、嫌なことがあった時には、どう対処すればいいのかを、椿と一緒に考える。

『自分で考えろ』

みたいな言い方はしない。最終的な対応は椿自身がすることになるとしても、ヒントくらいは提示したい。自分で解決策を導き出せるようになるための道筋は示していきたい。

何のヒントもなく子供が自力で問題解決の方法を見付け出すことができるなんて、アオに言わせれば、

『ご都合主義が過ぎる』

だって。

僕もそう思う。

勉強でもそうだよね。解き方も教えずに子供が自力で問題を解いてみせるなんて、そんなこと、ある?

普通は、解き方を学ぶからこそ解けるようになるんだよね?

人間関係に関する問題でもそうだと思う。まず解き方を教わってこそ、解けるようになっていくんだ。

ただし、人間関係の問題は、勉強のそれのように決まった解き方があるわけじゃない。一つ一つ答が違うのも当たり前。

だとすれば、それだけ、丁寧に問題を紐解くことから始めなくちゃ、ヒントを示すことさえできない。

僕もアオも、それを怠ることはしない。

それを怠れば、子供は、適切じゃない方法で問題を解決しようとしてしまうかもしれない。それが、<イジメ>だったりするんだろうな。

僕は、椿に、<イジメの加害者>とかにはなってほしくないと思う。

だからこそ、彼女のことをよく見るし、彼女の話に耳を傾けるんだ。

まずはそこから始めなければ、端緒につくこともできないよ。

ダンピールである悠里ユーリ安和アンナでさえ、人間と諍いを起こさないようにできてる。だとしたら、人間である椿ならそれこそ本来は容易なはずなんだ。

それは、親である僕とアオ次第。

親である僕とアオが、彼女に、問題との向き合い方を教えられるかどうかにかかっている。

それを放棄すれば、子供は、テレビやネットから答を得ようとしてしまうだろうな。

他人を攻撃するのが当たり前な、テレビやネットからね。

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