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第三幕

フィクションの中でどんなことが起こっても

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アオは続ける。

「反戦派の人達が『戦争体験を語り継がなきゃ!』って思うのは、それによって戦争の悲惨さとか苦しさとか残酷さとかを伝えようと思うからでしょ?

でも、『戦争の悲惨さとか苦しさとか残酷さとかを実感させるためにまた戦争を起こさせる』なんてのはそれこそ本末転倒じゃん。だからこそ、もうすでに起こってしまった、<変えようのない現実>であるのと同時に、『それを語っても新たに被害者が出るわけじゃない』からこそ体験談を伝えようとするんだと思う。

フィクションも、そういう形で利用できるものなんだよ。

フィクションの中でどんなことが起こっても、被害者は決して出ない。フィクションの描写や表現に対してモヤっとすることがあったんなら、それは<教訓>とか<反面教師>として役立てればいいだけの話なんだよ」

母親の言葉に、悠里ユーリ安和アンナも頷きながら、

「だよね」

「マジそれ。現実とフィクションを混同すんなって思う」

と納得してくれた。

そんな子供達に、アオはさらに言う。

「子供が家のことをする話に戻すと、『家の手伝いをする子が偉くて、家のことをやらない子は<ダメな子>』ってことで、『家のことを手伝え! 手伝わない奴はダメだ!!』みたいに強要するのは確かに虐待って言えるかもしれない。

だけど同時に、子供が自分から進んでやってるのに、『それは児童労働だ! 虐待だ!!』とかケチをつけるのも、やっぱり虐待になると私は思うんだ。

ここで大事なのは、結局、『相手を敬う』ってことだと思うんだよ。子供だからって見下すんじゃなくて、軽んじるんじゃなくて、<独立した一つの人格>として敬ってたら、『家のことを手伝え!!』なんて強要もしないし、逆に、子供が好きで自分から手伝ってるのを『児童労働だ! 虐待だ!!』なんてケチ付けることもしないはずだよ。どっちも、他人を敬ってないからできることだよね」

これについても、悠里も安和も頷いてくれてた。

『相手を敬う』と言っても、どうするのが『敬う』ことになるのかが分からない人もいるんだろうな。

じゃあ、どうして分からないの?

教えてもらわなかったから分からないの?

それとも、教えてもらったけど分からないの?

『教えてもらったけど分からない』んだとしたら、それは、自分が理解するまで相手が教えてくれなかったの?

それとも、自分が理解する気がなかったの?

自分に理解する気がなくてそれで『どうすることが相手を敬うことになるのか分からない』のなら、それは完全に自分の所為だよね。

他人を敬うことができない人が、どうして人としての道理を説けるの?

僕にはすごく疑問だよ。

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