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第二幕

椿の日常 その16

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朝食を終えて寛ぎながら様々なことを話し合うアオと子供達を、ミハエルは穏やかな表情で見守っていた。

この光景を自分達が作り上げたことに安堵しながら。

その膝には、安和アンナが収まっている。なので椿つばきの方は、アオの膝に座っていた。

いくら自分より圧倒的に強いのが分かっていても、椿が膝に座ったくらいではびくともしないのが分かっていても、すでに自分の方が身長も高くなってしまったので、さすがに申し訳がなかった。

椿は、そういう気遣いができる子になっていた。

これもやはり、ミハエルとアオが、普段の態度で、言動で、振る舞いで<気遣い>というものを実践してみせていたからだろう。

『子供に対して攻撃的な親を持った子供は、自分以外の人間に対しても攻撃的になる』

こんな分かりやすい理屈はないと思われる。なにしろ親の真似をすればそうなるというだけなのだから。

それでなぜ『親に責任はない』と言えるのか。自分の普段の態度や言動や振る舞いを自分の子供が真似ているのに。

外面さえ良くしておけば免責されるとでも思うのだろうか? そんな上辺の演技さえ上手ければどうにかできることで?

<演技が上手い人間は善人>

だとでも言うのだろうか?

アオはまったくそうは思わないから、自分の子供達に対する態度や言動や振る舞いを子供達が真似るだけで<気遣いができる人>になれるように自分を律してきた。その結果が、今の椿達なのだ。

口先だけの『愛してる』じゃないそれを自分に注いでくれる母親が、椿は大好きだった。

『自分の方が大きくなってしまったからミハエルの膝に座るのは遠慮してる』

のと同じで、今よりもっと自分が大きくなればアオの膝にも座らなくなるだろう。

『子供を甘やかせば際限なくつけあがる』

というのは、前提条件に問題があるからだ。それまで蔑ろにしてきた子供を、何か問題があったからといって手の平を反して甘えさせようとするからそれまでの分を取り戻そうとして『もっと、もっと』となるのではないのか?

最初から満足するまで甘えていられれば、そこまでのことはないはずだ。

アオは、さくらの子供達や自分の子供達でそれを確認してきた。

『たった三人やそこらの子供を育てただけでなんでそんなことが分かるんだよ!?』

と言う者もいるだろうが、その理屈だと、それこそ<子供を育てたこともない者>が育児について語るのはおかしいということにならないか? <子供を育てたこともない者>がそれを言ったとしたら、自分の首を絞める行為以外の何ものでもない。

『人間を育てる』

行為がどれほどのものか、

『三人やそこら子供を育てただけでは何も分からない』

と思うのは、それこそ<人間を育てるという行為>を軽んじているからだろう。

<人間を育てるという行為を軽んじている親>に育てられたから、そう思うのかもしれないが。

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