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第二幕
現在の結論を覆すのに値する論拠
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『復讐は認められるべき』
と主張する者は、自分が復讐される側になることをまったく想定していないだろう。
けれど、ネットでデマを拡散したりしてそれで誰かが被害を被れば、それだけでもう被害を被った側からすれば、
<復讐してやりたい相手>
になっても何も不思議はないはずである。
そして、自分がネットなどで誰かを罵っていれば、罵られた相手からは、当然、<復讐してやりたい相手>になったりするだろう。
それどころか、自分自身覚えのないところでいつの間にか誰かから恨みを買っていることさえあるのがこの世というものである。
『被害者や遺族に泣き寝入りしろと言うのか!?』
などと、一見しただけならいかにも、
『人としての情に溢れている』
ようにも見えることを口にしたりもするが、それは所詮、
<綺麗事を盾にした欺瞞>
でしかない。なぜなら、
<復讐が実行されたことで生じる新たな被害者や遺族>
の気持ちなど、まるで考えていないからだ。
エンディミオンの復讐によって新たに生じた被害者や遺族の気持ちを考えるのなら、エンディミオンの復讐は実行に移されるべきではなかった。
何度も言うが、<フィクションの復讐劇>と<現実の復讐>は違う。
それをわきまえていないから、
『復讐は認められるべき』
などという無責任なことが言えてしまう。
他人の復讐に自分や自分の大切な人が巻き込まれる可能性に考えが至らない。
この世には、現に、
<まったく無関係な他人の復讐に巻き込まれた被害者>
は確かに存在するのだ。
あるいは、
<見当違いな恨みによる復讐に巻き込まれた被害者>
もいる。
つい最近もそれで何人もの人が亡くなっているではないか。
しかも、それを実行した者は自分は正しいことをしたと思っている。
復讐を認めるというのは、そういうことだ。
こういったことが起こるのを容認するということだ。
また、一人で何人もの人の命を奪った場合、
『復讐を望む者は多いにも拘らず、<仇>の命は一つしかない』
という事態も生じる。
この場合、たとえ復讐を認めても、その手で復讐を果たせる者は限られてしまう。
じゃあ、どうするのか? じゃんけんで決めるのか? くじ引きで決めるのか?
それで外れた者は、自分の手で復讐を果たせずに泣き寝入りするのか?
ここまで言ってもなお、実現不可能な強引な空想を展開してでも正当性を主張する者はいるだろう。
『だったら対案はあるのかよ!?』
と、話をすり替えてくる者もいるだろう。
しかしこの話で<対案>は必要ない。
『復讐は法律で認められていない』
というすでにある現実を覆そうとする側が、それを覆すに値する論拠を提示するべきことだからである。
あまたの<先例>を詳細に検証したことで得られた現在の結論を覆すのに値する論拠が、自身が知るほんの数例を引き合いにして得られるとでも言うのだろうか?
そして、それでも万が一、
<復讐を正当化する根拠>
が本当に提示された場合には、エンディミオンによる復讐が再開されるであろうという事実を忘れてはならない。
と主張する者は、自分が復讐される側になることをまったく想定していないだろう。
けれど、ネットでデマを拡散したりしてそれで誰かが被害を被れば、それだけでもう被害を被った側からすれば、
<復讐してやりたい相手>
になっても何も不思議はないはずである。
そして、自分がネットなどで誰かを罵っていれば、罵られた相手からは、当然、<復讐してやりたい相手>になったりするだろう。
それどころか、自分自身覚えのないところでいつの間にか誰かから恨みを買っていることさえあるのがこの世というものである。
『被害者や遺族に泣き寝入りしろと言うのか!?』
などと、一見しただけならいかにも、
『人としての情に溢れている』
ようにも見えることを口にしたりもするが、それは所詮、
<綺麗事を盾にした欺瞞>
でしかない。なぜなら、
<復讐が実行されたことで生じる新たな被害者や遺族>
の気持ちなど、まるで考えていないからだ。
エンディミオンの復讐によって新たに生じた被害者や遺族の気持ちを考えるのなら、エンディミオンの復讐は実行に移されるべきではなかった。
何度も言うが、<フィクションの復讐劇>と<現実の復讐>は違う。
それをわきまえていないから、
『復讐は認められるべき』
などという無責任なことが言えてしまう。
他人の復讐に自分や自分の大切な人が巻き込まれる可能性に考えが至らない。
この世には、現に、
<まったく無関係な他人の復讐に巻き込まれた被害者>
は確かに存在するのだ。
あるいは、
<見当違いな恨みによる復讐に巻き込まれた被害者>
もいる。
つい最近もそれで何人もの人が亡くなっているではないか。
しかも、それを実行した者は自分は正しいことをしたと思っている。
復讐を認めるというのは、そういうことだ。
こういったことが起こるのを容認するということだ。
また、一人で何人もの人の命を奪った場合、
『復讐を望む者は多いにも拘らず、<仇>の命は一つしかない』
という事態も生じる。
この場合、たとえ復讐を認めても、その手で復讐を果たせる者は限られてしまう。
じゃあ、どうするのか? じゃんけんで決めるのか? くじ引きで決めるのか?
それで外れた者は、自分の手で復讐を果たせずに泣き寝入りするのか?
ここまで言ってもなお、実現不可能な強引な空想を展開してでも正当性を主張する者はいるだろう。
『だったら対案はあるのかよ!?』
と、話をすり替えてくる者もいるだろう。
しかしこの話で<対案>は必要ない。
『復讐は法律で認められていない』
というすでにある現実を覆そうとする側が、それを覆すに値する論拠を提示するべきことだからである。
あまたの<先例>を詳細に検証したことで得られた現在の結論を覆すのに値する論拠が、自身が知るほんの数例を引き合いにして得られるとでも言うのだろうか?
そして、それでも万が一、
<復讐を正当化する根拠>
が本当に提示された場合には、エンディミオンによる復讐が再開されるであろうという事実を忘れてはならない。
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