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必ずしも完璧でなくても

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子供にはできないことでも大人にはできる。

それは本当にたくさんあることのはずだ。

なのに、わざわざ嘘を吐いたり偉そうにしたりルールを無視したりと子供の信頼を失うような真似をして、せっかくのチャンスをフイにして、それで、

『子供が自分を敬ってくれない』

など、情けないにもほどがあるというものじゃないだろうか。

ミハエルもセルゲイも、そしてアオも、さくらも、そう思っているだけに過ぎない。

相手が子供だからと見くびらず、見下さず、侮らず、人としてただ誠実であろうとしているだけだった。

安易に守れない約束はしない。

もし約束を違える時は謝罪し代替案を提示する。

決められたルールは守る。

守れなかった時にはそれを正当化しない。

たったそれだけのことだけれども、たったそれだけのことができない大人のなんと多いことか。

もちろん、ミハエルもアオもさくらもセルゲイも、それらを常に完璧に守れるほどの<聖人>でもない。

そして『聖人ではない』ということがまた重要だった。

完璧ではない人が、しかし子供に対して誠実であろうと努力をするという姿が、

『必ずしも完璧でなくてもいいんだ』

という心の余裕を生む。<完璧な親>、<完璧な大人>になどなる必要もない。

<完璧ではない者が努力をする姿>

そのものが、子供にとっては手本になるのだから。

しかし、残念ながら、ササキ・ジロウを名乗る若い男の周囲にいた大人はその手本を彼に示してくれなかったようだ。

「当ホテルには、ササキ・ジロウという人は宿泊していないですね。二〇八七号室に宿泊してる人もいません」

翌朝、悠里ユーリと共に、

<ササキ・ジロウと名乗る若い男が泊まっていると告げたホテル>

に、あの立派なコーカサスオオカブトを持ったセルゲイと悠里ユーリがフロントに訪れたものの、受付のスタッフにそのように告げられた。

「そうですか。それは失礼しました」

セルゲイはそう返した上で、気配を消してホテルの外から二〇八七号室の窓に取り付いて、中の様子を窺った。確かに利用されている気配がない。

嘘だったのだ。おそらく、<ササキ・ジロウ>という名前も偽名だろう。

「…どうして、そんな嘘を吐くのかな……」

コーカサスオオカブトが入った虫カゴを抱きながら、悠里は寂しそうにそう呟いた。

「そうだね。嘘を吐かれるというのはとても寂しいことだ。だけど、相手にはそうせずにいられない事情というものもあるんだと思う。

それがどういう事情なのかは分からないけど、少なくとも軽々しく踏み込んでいいものじゃないのも事実なんだろうね。

そういうのをたくさん見てきたからこそ僕は思うんだ」

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