上 下
57 / 108

始まる前から残念な結末を

しおりを挟む
 <まともな大人>
 <カッコいい大人>
 そんなものが現実に存在するとは思えなかった琴美の前に、結人ゆうとは現れた。
「同じ学校ガッコの結人だ」
 一真がまだ高校生だった時に、そう紹介された。この時はまだ琴美は小学生。
 一目惚れだった。しかも、彼女自身が覚えている限りでは初恋だ。
 なるほど見た目のカッコよさだけなら芸能人とかにはもっと上がいくらでもいるだろう。
 けれど、そうじゃない。そうじゃないのだ。何か分からないものの、自分の体の深いところに刺さるものを感じてしまったのである。
 ただ、その時にはもう、結人には心に決めた相手がいたらしく、琴美の初恋は始まる前から残念な結末を迎えることが決まっていたのだが。けれど不思議と、<不幸>だとは感じなかった。先にも述べたように、彼女は、自分が誰かを好きになれるという事実そのものに救われたのだ。それも彼女の支えになっていたのかもしれない。

 こうして新しいアパートの前に来ると、
「よし、さっさと運び込んじまおう」
 結人はそう言ってリアハッチを開けて運び込もうとしたが、
「あ、鍵は一真が持ってるのか……」
 そこでようやく部屋の鍵のことを思い出して呆然とした。大胆で抜け目ないように見えて実はうっかりしたところもある。それが結人だった。
 そんな彼に、
『カワイイ……♡』
 琴美は声には出さなかったものの和んでいた。
 一方、結人の方は、取り敢えず部屋の前に荷物を下ろして、
「駐車場に止めてくる」
 そう言って軽ワゴンに乗り込み、「ルーン」と電気自動車特有の音をさせて去って行った。
「ふう……」
 小さく息を吐いた琴美は、空気は冷たかったものの結人と一緒にいたことで体が火照っていてむしろ心地好かった。
 同時に、改めて新しいアパートを見上げる。築十五年とはいえ、前の老朽アパートに比べれば格段に良さげな物件だった。
『ここが新しい家になるのか……』
 そう思うと、今度はその所為で顔が緩む。あの両親がいない家だ。
 自分の親に対して、
『いなくなってくれてよかった』
 などと考えると、
『恩知らずが!』
 と罵る輩は確かにいるが、そんな輩は自身の狭隘な価値観の中でしかこの世を見られない者だ。気にする必要はないと、琴美もすでに思えるようになっていた。
 <いない方がいい親>
 は現実にこの世に存在する。それが、宝くじの高額当選金を得て自ら行方をくらました。
 こんな、誰も不幸になっていない好ましい結末があるか。
 となれば、後は琴美と一真が自ら幸せを築き上げていけばいい。
 じんわりと救われた実感を味わっていた琴美のところに、真新しい自転車に乗った一真が帰ってきたのだった。

しおりを挟む

処理中です...