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<大人>と呼ばれる年齢

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 結人ゆうとは、五歳の時に実の母親に首を絞められ殺されかけている。しかし彼は、自身の首を絞める実の母親を、とても五歳の子供とは思えない目で睨み付け、そして嘲笑ったのだ。最初から最後まで愚かしい選択しかできない自分の母親を。
 けれど、そんな結人ももう<大人>と呼ばれる年齢になってしまった。しかも、自分の実の母親が自分を殺そうとした時の年齢さえ超えてしまっている。そう、当時の母親よりも大人に。
 だからこそ『自分はあんな人間にはならない』と考えていた。
 今でも恨んでいる。憎んでいる。呪っている。機会があれば許されるならば『殺してやりたい』とも思っている。けれど、そんな感情でせっかく掴んだ幸せを壊したくなかった。だからこそ、努力をする。
『親ガチャなんて関係ない! 子供が努力すればいくらでも這い上がれる!』
 そんな言葉を真に受けたわけじゃない。そんな、どこの誰とも知れない人間の戯言など関係ない。ただ自分がそうしたいと思ったからそうしているだけだ。
 ゆえに、一真や琴美に対して、『親ガチャなんて関係ない! 子供が努力すればいくらでも這い上がれる!』とは言わない。たまたま出逢って友人になれて、一真が沙奈子さなこの力になってくれたりもしたから、だから一真や琴美の力になりたいと思っているだけだ。自分がかつてそうしてもらえたように。
 そして結人は、近くのコインパーキングに止めてあった自身の軽ワゴン車(ホンダ・バモス660M。車体色グリーン。十八万円で購入したものをフルレストア&電気自動車化。航続距離はわずか二百キロだが市内及び近距離でしか使わないので問題なし)に一真と共に乗り込み、まずは元のアパートに向かった。琴美を迎えに行くためである。ハンドルを握った結人の左手の薬指の指輪がキラリと光った。

 十分ほどで着いたアパートでは、琴美が玄関前の掃除をしていた。部屋の掃除は終わったからだ。夕方に管理会社の担当者が確認しに来ることになっている。
「琴美!」
 軽ワゴン車の窓を開けて声を掛けたのは、結人の方だった。
「!?」
 その声に、琴美がハッとなって顔を上げる。明らかに普段の彼女には見られない反応だった。顔が一瞬で上気する。
「結人さん……!」
 声まで明らかに軽くなり弾んでいる。察しのいい人間ならすぐに気付くだろう。彼女の気持ちに。
 琴美は結人のことが好きなのだ。報われることのない淡い初恋ではあるものの、この時の琴美の表情だけは、普通の思春期の女の子のそれなのだった。

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