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ハンデをものともしない

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 こうして、
 <山下典膳やまもとてんぜんの意向>
 を持ち帰った一真かずまは、それを直属の上司である玲那に報告した。
「なので、沙奈子さんが提案するドレスのイメージは<シロイルカ>であるのに対して、典膳先生が持ってらっしゃるイメージは<スナメリ>ということだそうです」
 その一真の報告に、玲那は、
「なるほど了解、沙奈子ちゃんには私から伝えておくから。ご苦労様」
 口は一切動かさず途轍もない速度でスマホを操作して『しゃべる』玲那に、一真はいつも感心させられていた。
『声を失った』
 というハンデをものともしない玲那の在り方に、尊敬の念すら抱く。両親に恵まれなかったことで大人を信用していなかった彼だが、学校での琴美と同じように周囲に対して攻撃的にならずにいられたのは、結局は大人の側のフォローがあったおかげだということを、自らが<大人と呼ばれる年齢>になったことで実感した。
 そして玲那もそんな<フォローしてくれる大人>の一人だった。
 いわゆる<底辺>出身の彼を嘲ることなく、丁寧に仕事を教えてくれた。
 かつて一真は自身の両親を見て、
『大人なんてこんなもの』
 と分かったような気分になっていたりもしたが、それがいかに狭い範囲しか見えていなかったかを思い知らされた。大人への反発を前提にしてフィルターが掛かった状態で見ていたから学校に通っていた頃には内心では教師を、
『学校以外の社会に出たこともない、勉強しかできない馬鹿』
 などと見下していたりもしたが、教師が率先して生徒をイジメるような学校もあることを思えば、今は琴美が通っている自身の母校はずいぶんとマシだったことが今なら分かる。
 当時はあくまで、
『友人に恵まれたから』
 だと思っていたのだ。
 と、そこに、
「チェスト、持ってきました」
 言いながら事務所に入ってきたジャージ姿の青年がいた。ちょうど一真と同じ年頃という印象の。
 すると一真がそちらに振り返って、
結人ゆうと
 そう声を上げた。
「よう、直に顔を見るのは久しぶりだな。二ヶ月くらいか?」
 <結人ゆうと>と呼ばれた若い男性が手にしたいわゆる<百六十サイズ>の段ボール箱を掲げながら応える。その上で、
「なんてのは後回しだ。先に仕事。で、これが今回のチェスト」
 言いつつ結人が玲那の背後にあった棚に置いた箱を、彼女が開けると、そこには、
 <小さな箪笥たんす
 が入っていた。チェストとは、日本では<整理箪笥>とも呼ばれることのある、背の低い箪笥の一種である。しかし結人が持ってきたものは、整理箪笥としても明らかに小さい。けれどそれを箱から取り出し棚に置いて見た玲那が、
「いいじゃない。さすがね。イメージ通り」
 嬉しそうに笑顔で言ったのだった。

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