神河内沙奈の人生

京衛武百十

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起こってしまった事件

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彼女はその日、なぜか落ち着かなかった。授業が終わりいつものように神河内良久かみこうちよしひさに付き添われて家には帰ったのだが、ひどくそわそわして普段ならすぐに取り掛かるお絵かきをしようとしなかったのである。しかし神河内良久はそれには気付かず、作業に集中していた。だから彼女がいつの間にか家から抜け出していたことに気付かない。

それは、初めてのことだった。彼女は自らすすんで家を出ようとすることはこれまでなかった。だから彼も油断していたのだ。

家を抜け出した彼女は、小走りで学校に向かっていた。その途中、彼女はますますざわざわとした落ち着かない感覚に囚われていった。たまたまクラブ活動で登校してきた生徒が開けた校門を走り抜け、校舎に飛び込み、急いで靴を履きかえて、奥にあるにこやか学級の教室を目指した。そこで彼女は見てしまったのである。尋常ではない様子で掴みかかる多実徳英功たみのりえいこうと、パニックを起こし泣き叫ぶ伊藤玲那いとうれいなの姿を。

「―――――っ!!」

その瞬間、彼女は獣に戻った。

「があぁっ!!」

と吠え、その体は宙を舞った。

多実徳英功の体に食らいつくと、バランスを崩して三人一緒に床に倒れた。

「ぎっ!!」

特に多実徳英功は頭を床に打ち付け、一瞬、意識が遠のく。すると彼女はその隙を狙って、彼の喉元にぐわあっと咬み付いたのだ。まさしく獲物を食い殺そうとする肉食獣のように。

喉に咬み付かれた激痛で意識が戻り、

「ぎゃあああっ!!」

っと悲鳴を上げながら彼女を引きはがそうと顔を押した。生命の危機に本能的に反応したことで一切の手加減がなかった。この時の彼の肉体が出しうる最大の力が発揮されたのだろう。するとぶちぶちと喉の肉が一部引きちぎられつつも、引きはがすことには成功した。

彼女がいかに獣のようでも、その身体能力は本当の野生の肉食獣とは比較にならない。一瞬で人間の喉を食い破るほどの顎の力も肉に食い込む鋭い牙も持ち合わせていなかったことで、致命傷にはならなかった。それでも結構な肉が食いちぎられて血がだらだらと滴った。

山下沙奈は食いちぎった肉をペッと吐き捨て、床に両手両足をつき、

「うぅうううぅううっ!!」

っと唸り声を上げつつ再び飛び掛かるべく体勢を整えていた。床に座り込んだ伊藤玲那はまだパニック状態から回復していないのか、目の前の光景を呆然と見ているだけだ。

だがその時、

「何をしてるんだっ!!」

と叫びながら、男性教師が二人、教室に飛びこんできた。彼らは山下沙奈に飛び掛かって取り押さえ、辛うじて被害が大きくなることを防いだ。彼女は男性教師に抱えられながらも

「があっ! がぅああっ!!」

と吠えつつ振りほどこうとはしたが、敵ではないと判断したのか教師に対しては噛み付いたりしなかった。

こうして事件は鎮圧されたのであった。

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