神河内沙奈の人生

京衛武百十

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学習開始

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人間らしい教育を一切受けてこなかった彼女は、やはり乳幼児と同じくまず言葉を理解することから始めなければいけないと、伊藤玲那いとうれいなは考えていた。その為、彼女用のカリキュラムを作成し、学校側にもそれを認めさせた。学校側としても、どう扱っていいのかよく分からない彼女のことは、伊藤玲那に丸投げする気満々だったのである。

しかしそれは、伊藤玲那にとっても山下沙奈やましたさなにとってもむしろ都合が良かった。彼女の特殊性については伊藤玲那の方がよほど理解しており、学校側が全面的に任せるというのならまさに僥倖と言えたし、実際にそれが功を奏した。

ひらがなのカードを見せた後、今度はそれを裏返しにすると、そこには絵が描かれていた。ひらがなに対応した絵だ。例えば、『あ』なら『あさがお』、『い』なら『犬』という感じである。そして絵を見せて、

「あ、あさがおのあ、い、いぬのい、う、うしのう」

と、覚えろとも理解しろとも言わずただ、きょとんとした感じで不思議そうに見つめる山下沙奈にカードを見せていくだけだった。その調子で一通り終えると、伊藤玲那は山下沙奈の目を見た。さっきまでは意味も分からずこちらを見詰めているだけという感じだったのが、少し落ち着きなく視線をあちこちに向け始めていた。改めてカードを見せてみるが、やはり視線が落ち着かない。

『今日はここまでのようですね…』

伊藤玲那はそう考え、今度は色紙を出してきてまた彼女の前で折り始めた。すると彼女もまたそれを興味深そうに眺めていた。そしてそのまま、一時間目の授業の終了のチャイムが鳴った。

「じゃあ、今日はこれで終わりです」

伊藤玲那にそう声を掛けられて、彼女はいまいちよく分かってはいない様子ながら、伊藤玲那が立ち上がったのを見て自分も立ち上がった。

その様子を見た他の女性教師が、

「山下沙奈さんは、しばらく一時間だけのお勉強です。みなさん、さようなら」

と言うと、他の生徒達が「さようなら」と声を揃えて彼女に言った。山下沙奈にはその意味がまだよく分かってはいなかったが、特に不快そうにするでもなく、他の生徒達を見て僅かに首をかしげる仕草を見せた。

後で判明したことなのだが、それはどうやら彼女なりの挨拶だったようである。

伊藤玲那に付き添われ、ランドセルを背負った彼女が校門に向かうと、そこには迎えに来た神河内良久かみこうちよしひさの姿があった。

「沙奈さん、すごくいい子でしたよ」

と声を掛ける伊藤玲那に見送られ、彼と彼女は学校を後にしたのであった。 

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