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逃げるが勝ち

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実の兄を殺し、その肉を貪っていたところを実の母に見付かり、ジョーカーは逃げ出した。相手が母親かどうかは問題ではなかった。あくまで自分より二回り以上大きい成体おとなオオカミ竜オオカミが襲い掛かってきたのだから、『逃げるが勝ち』なのだ。

けれど、さすがの体格差にジョーカーの逃げ足も敵わなかった。

たちまち追いつかれて横に並ばれ、強烈な頭突きを食らわされ、吹っ飛ぶ。体重差で言えばおそらく倍近くあっただろう。とは言え、もちろんジョーカーもおとなしくやられたりしない。地面を転がってすぐ立ち上がり、再び逃げに転じた。

今の頭突きの威力からみても勝てる相手ではなかったのだ。今はまだ。

だが、我が子を殺され食われた母親の怒りはすさまじく、まったく諦める様子はなかった。今度は尻尾に食らい付かれ、

「ヂイッッ!!」

激痛にジョーカーは悲鳴を上げる。しかし悲鳴を上げつつも彼は自分の体をひねって、牙に肉を切り裂かれつつも何とか振りほどいてみせた。根元に近い太い部分だったことで、尻尾そのものを食いちぎられるところまではいかなかった。

とは言え、尻尾の肉がごっそりとえぐり取られて血飛沫が飛び散る。

それでも構うことなく彼は全力で逃げた。ここで捕まれば確実に殺される。それは間違いない。

生きるためには逃げ切るしかないのだ。元より、『一か八か』が通用するような力の差ではないことが分かり過ぎるくらい分かる。

加えて、仲間がいない彼を助けてくれる者はいない。

と、その時、

「ガアアアアーッッ!!」

咆哮が、ジョーカーと母親の耳に届く。

ボスだった。ボスが、勝手に群れを離れた雌を呼んだのだ。距離はもう二百メートルほど離れていたが、はっきりと圧を感じる咆哮だった。

「ガルッッ!!」

母親は我が子を殺したこの外道を殺すべく抗議するものの、

「ガーッッ!!」

ボスは耳を貸さなかった。自分達が移動しようとしているのにそれに従おうとしない雌を叱責する。

「ガルルルル……ッ!」

母親が逡巡している間にも、ジョーカーは逃げ去ってしまった。そして姿が見えなくなってしまったところで、諦めざるを得なくなってしまう。

そして母親は悔しそうにしつつも群れに戻り、一緒に移動を始めた。どうやら今の寝床を捨てて次に移るところだったらしい。それがジョーカーにとっては幸運だった。でなければ母親は彼の息の根を止めるまで追っていただろう。

こうして何とか逃げ延びたジョーカーは、母親も群れもいなくなったのを確かめてから戻ってきて、死んだ兄の体を再び貪った。すると尻尾の傷も不思議と気にならなくなったのだった。

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