我が娘が風呂上りにマッパで薄暗い部屋でPCの画面を見ながら不気味な笑い声を上げてるんだが?

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
9 / 92

茶番にしか思えなくて

しおりを挟む
でも、余談ついでに語るけど、私が子供の頃に見てたアニメで覚えているのは、<リリカSOS>というのが印象に残ってる。だけどそれも苦手だった。

後は、<カードキャプターさくら>を最初の頃だけ見てたの覚えてる。それからはアニメからは離れて、テレビ自体、ニュースや情報番組しか見なくなった。

ドラマも茶番にしか思えなくて。

でも、だからってアニメやドラマを好きな人のことも馬鹿にするつもりはなかったんだよ。単に私がそれを素直に楽しめないというだけで、楽しめる人は楽しめばいいと思う。それがダンナと結婚して観音かのんと家族になってコミュニケーションの一環として一緒にアニメを見るようになってから今じゃ毎日何本もアニメを見るようになった。

それでも、いわゆる. ニチアサ枠のよりも深夜アニメばっかりだけどね。

今一番のお気に入りは<メイドインアビス>。ついで<リゼロ>かな。

特に<メイドインアビス>は、観音かのんと一緒に、映画まで見に行ったよ。

ボ卿はすごかったね。多分、普通の人は、到底受け入れ難いだろうけど、彼には彼なりの愛情があったんだとすごく感じる。

もちろん、彼のやったことは許されることじゃないし、ダンナや観音かのんがその犠牲になったりしたら、余裕で復讐したいと思うよ。きっと。絶対に許さない。

だけど、許す許さないとはぜんぜん別の話なんだろうなとは思うかな。



とまあ、今じゃすっかりアニメを楽しんでいる。

ドラマだと生身の人間が演じているからどうしても茶番感が 強すぎて入り込めないけど、アニメはそもそも最初から全部作り物だから割り切って見られる。仮面ライダーも生身の人間が演じてるけど、話自体が完全にぶっ飛んでて現実味がないから気にならない。

ああ、でも、別にドラマがダメだっていうんじゃないよ。あくまで私はそう感じるというだけの話だから。

アニメの方が気持ち悪くて見てられない人だっていると思う。かつては私もその一人だった。

だからそれは、ただの<感覚の違い>だと思うんだ。

保育園で子供達を見てても感じる。ある程度の大まかな傾向というものはあっても、よく見るとやっぱり一人一人全然違うしさ。

観音かのんは、まさにそれだったな。

ほとんどの女の子が<可愛いもの>を選ぶ中、観音かのんだけが<かっこいいもの>を選ぼうとしてたからね。

それだけ見ても、人によって違うのが分かるってものじゃないかな。

結局、そういうことなんだと思うんだよ。

『他人と違う』ことが、もともと、当たり前なんであって、ある程度は. 折り合いをつけることができても、何もかも全部同じにすることは無理なんだろうな。

<社会性>というのは.、つまるところ、いかに他人や社会と折り合いをつけるかということにつきると思うんだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

職場のパートのおばさん

Rollman
恋愛
職場のパートのおばさんと…

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ハズレガチャの空きカプセル

京衛武百十
現代文学
釈埴一真(しゃくじきかずま)と妹の琴美(ことみ)は、六畳一間の安アパートの一室に捨てられた兄妹である。会社勤めの一真の収入をあてにしていたはずの両親が、宝くじが当たったとかで、「お前らは勝手に生きろ。俺達はお前らの所為で台無しになった自分の人生をエンジョイするからよ」と吐き捨て、行先も告げずにいなくなったのだ。 一真はすでに成人し仕事をしていたからまだしも琴美はまだ十六歳の高校生である。本来なら保護責任があるはずだが、一真も琴美も、心底うんざりしていたので、両親を探すこともしなかった。 なお、両親は共に再婚同士であり、一真と琴美はそれぞれの連れ子だったため、血縁関係はない。 これは、そんな兄妹の日常である。     筆者より。 <血の繋がらない兄妹>という設定から期待されるような展開はありません。一真も琴美も、徹底した厭世主義者ですので。 また、出だしが一番不幸な状態なだけで、二人が少しずつ人間性を取り戻していく様子を描く日常ものになると思います。また、結果には必ずそれに至る<理由>がありますので、二人がどうしてそうなれたのか理由についても触れていきます。 あと、元々は『中年男と女子高生というシチュエーションを自分なりに描いたらどうなるだろう?』ということで思い付きましたが、明らかに方向性が違いますね。 なお、舞台は「9歳の彼を9年後に私の夫にするために私がするべきこと」や「織姫と凶獣」と直接繋がっており、登場人物も一部重なっています。

ナースコール

wawabubu
青春
腹膜炎で緊急手術になったおれ。若い看護師さんに剃毛されるが…

処理中です...