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ロボットメイド、アリシアの愉快な日常
12日目 少年、大いに惑う
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アリシアは、少年に対し自らを<アリシア2234-HHC>と名乗った。これは、一般にはアリシア2234-LMNの存在が公表されていないことと、通常モードでは基本的にアリシア2234-HHCとして運用される為、アリシア自身がそう認識しているからである。
だが、少年は言った。
「お前…HHCじゃないだろ? IJNからLMNのどれかだろ?」
その言葉に、今度はアリシアの方がハッとなる番だった。この少年、アリシアシリーズに相当詳しい。しかも一般には知られてない筈の要人警護仕様の形式番号まで知っている?
一般仕様の形式番号のアルファベットは、HHS=ホームヘルパー・スタンダードやHHC=ホームヘルパー・キューティのように用途やキャラクター性を示す単語の頭文字を取ったものだが、要人警護仕様のそれは、アルゴリズムの開発番号とボディタイプの組み合わせで構成されていた。つまり、LMNなら、メイトギア用のアルゴリズムNo.Lと戦闘用のアルゴリズムNo.Mを搭載したN型ボディという意味になる。それを知っているのは、JAPAN-2の上層部と開発チームと軍事関係者及び同業他社の上層部や技術者を除けば、極めてごく一部のコアなマニアくらいだった。
しかし彼女の前にいるこの少年は、マニアというには雰囲気が違う。となればJAPAN-2の上層部や開発チームの親族か、軍関係者の親族か。
だとしたら隠しても意味はない。一般にはあまり知られてなくても決して機密という訳でもないのだから。アリシアはまたふっと微笑んで応えたのだった。
「はい、そうですね。アリシア2234-LMNです」
彼女のその笑顔に、少年もまた顔を赤らめて目を逸らした。彼自身、どうしてそうなってしまうのか自分でも理解出来てないように見えた。ぶっきらぼうに彼は言う。
「ふん、あいつと同じかよ…」
『あいつ』と、少年は確かにそう言った。ということは、彼の身近にアリシア2234-LMNがいるということだ。それはアリシアにとっては初めてのことだった。元々、要人警護仕様は数が少なく、しかも要求される厳しいスペックに応える為に随時更新されるという商品としての性格上、完全な同型機というのは滅多に出会えないのである。一応、彼女自身は千堂と再開した際に彼が連れていたアリシア2234-LMNと会っているものの、それはあくまで彼がJAPAN-2の役員として会社の備品を使っていただけだから、社内で同型機と出会うようなもので特に感慨もないのだった。
だがもし、少年の言ってる『あいつ』というのが本当にアリシア2234-LMNなら、市場に出た同型機ということになるのだ。機密扱いになっている情報もあるので正確な数字ではないが、市場に出たアリシア2234-LMNの数は五機の筈。少年の言ったIJNからLMNを全て合わせても二十機もない。しかも要人を守って失われたものも相当数あるから、現存するものとなればもっと少ない筈だ。事実、昨年にも他の都市での爆弾テロで要人を庇い、二機のアリシアシリーズが失われている。自らの体を用いて爆弾の威力を相殺し、要人を守ったのだ。この時に失われたのがKLNとLMNだった。残酷なようだが、これが彼女達の本来の役割なのである。
そんな彼女の完全な同型機が近くに存在する。これは十分、奇遇と言えた。ちなみに、要人警護仕様の外見は、全アリシアシリーズからカスタムでチョイス出来る為、外見まで同じとなるとさらに数は限られる。その為、少年の言っているアリシア2234-LMNが彼女と完全に一致するかどうかはまだ分からないが。
しかし今は、そういう話をしている場合ではない。アリシアは言った。
「虫を探さなくていいのですか?」
自分の同型機のことも気になったが、彼女はそれよりも彼の本来の目的を優先した。穏やかな笑顔を浮かべながら自分を見詰める彼女に、少年は戸惑いながらも自分の目的を思い出した。
「本当に、いいのかよ?」
なおも不機嫌そうに振る舞いながらそう訊く彼に、彼女は「もちろんです」と明るく応えた。
「じゃあ、ついてこいよ」
少し目を逸らしながらも彼はそう言い、道を外れて林の中へと足を踏み入れた。アシリアもそれに続く。
「どんな虫を探してるのですか?」
前を歩く少年に向かって、彼女は訊いた。それが分かれば自分のセンサーで探すことが出来ると思ったからだ。それに対して彼は応えた。
「カセイヒイロシジミだよ」
カセイヒイロシジミ。地球のシジミチョウが火星の環境で独自の進化を遂げた為に、最近になって独立した種として認められた、火星の固有種とも言える蝶である。数が少なくマニアの間では高値で取引されるとも聞く。それ故、アリシアは考えた。
『希少な蝶を捕まえてお小遣いでも稼ぐのでしょうか?』
だがその疑問はすぐに否定された。
「言っとくけど、小遣い稼ぎとかじゃないからな。あくまで僕の研究の為だ」
『あ、バレてた…?』
自分の下世話な憶測を見抜かれ、彼女は少し動揺した。頭を掻くような仕草をした上で笑ってみせた。更にそれを誤魔化そうとするかのように、センサーの感度を上げて本気でカセイヒイロシジミを探し始めた。少年はその様子を見てなかったが、彼自身も、
『どうしてロボット相手にこんなこと言ったんだろ…?』
と、内心、戸惑いを見せていた。何しろ、ロボットは本来そんなことを詮索はしないし考えることすらないと彼もよく知ってたからだ。なのに、今、自分の後ろを歩くこのロボットが相手だと、つい人間に対してするような弁明をしてしまったのである。なぜかこのアリシア2234-LMN相手だと、調子が狂ってしまうのだ。
それでも、やはり今はカセイヒイロシジミを探すのが先だと気を取り直して、彼は歩を進めた。正直言って、自分が追ってきたカセイヒイロシジミがこの林の中へ入ってしまったのを見た時、諦めそうになっていた。知らない場所で道を外れることの危険性を彼は知っていたのだ。研究の為にカセイヒイロシジミを探していると言うくらい、彼は火星の昆虫を調べていて、それ故に自然の怖さもそれなりに知っていたのだった。
そこにロボットが現れ、一緒に蝶を探してくれるという。彼にとってこれは千載一遇のチャンスとも言えた。アリシアシリーズ、ましてやアリシア2234-LMNともなればこの程度の林など完全にマッピング出来る上にGPSも備えていて、迷う心配がない。しかも何か事故が起こっても人間である自分を完璧に守ってくれるのだから、こんな心強いお供もいなかった。それに、このアリシア2234-LMNは、自分が知ってるそれとは何かが違ってるとも彼は感じていた。やけに人間臭いと言うか、ロボットらしくないと言うか。
元々、アリシアシリーズは外見上は非常によく出来ていてパッと見は人間との区別がつかない。しかし、実際に接してみるとやはり人間ではないのだというのはすぐに分かってしまうのである。その雰囲気と言うか、居住まいと言うか、とにかく独特の違和感があることはどうしても否めなかったのだ。中にはそれを嫌う人間もいて、頑なにロボットのヘルパーを拒む者もいるのは事実だった。この少年も、そういう人間の一人なのかも知れない。
にも拘らず、彼はアリシアの同行を認めてしまった。それは彼にとっても都合の良い話だったのは確かでも、たぶん、普通のアリシアシリーズなら認めなかったし、そもそもアリシアシリーズが私有地に無断で侵入した人間に従うなどありえないのだから、こんなことになる筈もなかったのだ。
『変な奴…』
自分の後ろを大人しくついてきて、しかもセンサーを総動員してカセイヒイロシジミを探してくれている彼女にちらりと振り向いて彼はそんなことを思った。
そして少年とアリシアによる捜索は、彼女の自由時間ぎりぎりまで続いたのだった。
だが、少年は言った。
「お前…HHCじゃないだろ? IJNからLMNのどれかだろ?」
その言葉に、今度はアリシアの方がハッとなる番だった。この少年、アリシアシリーズに相当詳しい。しかも一般には知られてない筈の要人警護仕様の形式番号まで知っている?
一般仕様の形式番号のアルファベットは、HHS=ホームヘルパー・スタンダードやHHC=ホームヘルパー・キューティのように用途やキャラクター性を示す単語の頭文字を取ったものだが、要人警護仕様のそれは、アルゴリズムの開発番号とボディタイプの組み合わせで構成されていた。つまり、LMNなら、メイトギア用のアルゴリズムNo.Lと戦闘用のアルゴリズムNo.Mを搭載したN型ボディという意味になる。それを知っているのは、JAPAN-2の上層部と開発チームと軍事関係者及び同業他社の上層部や技術者を除けば、極めてごく一部のコアなマニアくらいだった。
しかし彼女の前にいるこの少年は、マニアというには雰囲気が違う。となればJAPAN-2の上層部や開発チームの親族か、軍関係者の親族か。
だとしたら隠しても意味はない。一般にはあまり知られてなくても決して機密という訳でもないのだから。アリシアはまたふっと微笑んで応えたのだった。
「はい、そうですね。アリシア2234-LMNです」
彼女のその笑顔に、少年もまた顔を赤らめて目を逸らした。彼自身、どうしてそうなってしまうのか自分でも理解出来てないように見えた。ぶっきらぼうに彼は言う。
「ふん、あいつと同じかよ…」
『あいつ』と、少年は確かにそう言った。ということは、彼の身近にアリシア2234-LMNがいるということだ。それはアリシアにとっては初めてのことだった。元々、要人警護仕様は数が少なく、しかも要求される厳しいスペックに応える為に随時更新されるという商品としての性格上、完全な同型機というのは滅多に出会えないのである。一応、彼女自身は千堂と再開した際に彼が連れていたアリシア2234-LMNと会っているものの、それはあくまで彼がJAPAN-2の役員として会社の備品を使っていただけだから、社内で同型機と出会うようなもので特に感慨もないのだった。
だがもし、少年の言ってる『あいつ』というのが本当にアリシア2234-LMNなら、市場に出た同型機ということになるのだ。機密扱いになっている情報もあるので正確な数字ではないが、市場に出たアリシア2234-LMNの数は五機の筈。少年の言ったIJNからLMNを全て合わせても二十機もない。しかも要人を守って失われたものも相当数あるから、現存するものとなればもっと少ない筈だ。事実、昨年にも他の都市での爆弾テロで要人を庇い、二機のアリシアシリーズが失われている。自らの体を用いて爆弾の威力を相殺し、要人を守ったのだ。この時に失われたのがKLNとLMNだった。残酷なようだが、これが彼女達の本来の役割なのである。
そんな彼女の完全な同型機が近くに存在する。これは十分、奇遇と言えた。ちなみに、要人警護仕様の外見は、全アリシアシリーズからカスタムでチョイス出来る為、外見まで同じとなるとさらに数は限られる。その為、少年の言っているアリシア2234-LMNが彼女と完全に一致するかどうかはまだ分からないが。
しかし今は、そういう話をしている場合ではない。アリシアは言った。
「虫を探さなくていいのですか?」
自分の同型機のことも気になったが、彼女はそれよりも彼の本来の目的を優先した。穏やかな笑顔を浮かべながら自分を見詰める彼女に、少年は戸惑いながらも自分の目的を思い出した。
「本当に、いいのかよ?」
なおも不機嫌そうに振る舞いながらそう訊く彼に、彼女は「もちろんです」と明るく応えた。
「じゃあ、ついてこいよ」
少し目を逸らしながらも彼はそう言い、道を外れて林の中へと足を踏み入れた。アシリアもそれに続く。
「どんな虫を探してるのですか?」
前を歩く少年に向かって、彼女は訊いた。それが分かれば自分のセンサーで探すことが出来ると思ったからだ。それに対して彼は応えた。
「カセイヒイロシジミだよ」
カセイヒイロシジミ。地球のシジミチョウが火星の環境で独自の進化を遂げた為に、最近になって独立した種として認められた、火星の固有種とも言える蝶である。数が少なくマニアの間では高値で取引されるとも聞く。それ故、アリシアは考えた。
『希少な蝶を捕まえてお小遣いでも稼ぐのでしょうか?』
だがその疑問はすぐに否定された。
「言っとくけど、小遣い稼ぎとかじゃないからな。あくまで僕の研究の為だ」
『あ、バレてた…?』
自分の下世話な憶測を見抜かれ、彼女は少し動揺した。頭を掻くような仕草をした上で笑ってみせた。更にそれを誤魔化そうとするかのように、センサーの感度を上げて本気でカセイヒイロシジミを探し始めた。少年はその様子を見てなかったが、彼自身も、
『どうしてロボット相手にこんなこと言ったんだろ…?』
と、内心、戸惑いを見せていた。何しろ、ロボットは本来そんなことを詮索はしないし考えることすらないと彼もよく知ってたからだ。なのに、今、自分の後ろを歩くこのロボットが相手だと、つい人間に対してするような弁明をしてしまったのである。なぜかこのアリシア2234-LMN相手だと、調子が狂ってしまうのだ。
それでも、やはり今はカセイヒイロシジミを探すのが先だと気を取り直して、彼は歩を進めた。正直言って、自分が追ってきたカセイヒイロシジミがこの林の中へ入ってしまったのを見た時、諦めそうになっていた。知らない場所で道を外れることの危険性を彼は知っていたのだ。研究の為にカセイヒイロシジミを探していると言うくらい、彼は火星の昆虫を調べていて、それ故に自然の怖さもそれなりに知っていたのだった。
そこにロボットが現れ、一緒に蝶を探してくれるという。彼にとってこれは千載一遇のチャンスとも言えた。アリシアシリーズ、ましてやアリシア2234-LMNともなればこの程度の林など完全にマッピング出来る上にGPSも備えていて、迷う心配がない。しかも何か事故が起こっても人間である自分を完璧に守ってくれるのだから、こんな心強いお供もいなかった。それに、このアリシア2234-LMNは、自分が知ってるそれとは何かが違ってるとも彼は感じていた。やけに人間臭いと言うか、ロボットらしくないと言うか。
元々、アリシアシリーズは外見上は非常によく出来ていてパッと見は人間との区別がつかない。しかし、実際に接してみるとやはり人間ではないのだというのはすぐに分かってしまうのである。その雰囲気と言うか、居住まいと言うか、とにかく独特の違和感があることはどうしても否めなかったのだ。中にはそれを嫌う人間もいて、頑なにロボットのヘルパーを拒む者もいるのは事実だった。この少年も、そういう人間の一人なのかも知れない。
にも拘らず、彼はアリシアの同行を認めてしまった。それは彼にとっても都合の良い話だったのは確かでも、たぶん、普通のアリシアシリーズなら認めなかったし、そもそもアリシアシリーズが私有地に無断で侵入した人間に従うなどありえないのだから、こんなことになる筈もなかったのだ。
『変な奴…』
自分の後ろを大人しくついてきて、しかもセンサーを総動員してカセイヒイロシジミを探してくれている彼女にちらりと振り向いて彼はそんなことを思った。
そして少年とアリシアによる捜索は、彼女の自由時間ぎりぎりまで続いたのだった。
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