愛しのアリシア

京衛武百十

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ロボットメイド、アリシアの愉快な日常

2日目 千堂京一、汗を流す

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火星でも有数の複合企業体JAPAN-2ジャパンセカンドの屋台骨を支える部門であるロボティクス部の重役である千堂だったが、彼は基本的にストイックな男だった。それなりに恋愛経験も重ねては来ているもののそれにうつつを抜かしたことはなく、常に自らの目的に対して着実に進んでいくことを信条としていた。

そんな彼が、冷静さを大きく失った時期がある。それは、JAPAN-2内部の権力闘争に巻き込まれ、偶然のテロに遭遇したと見せかけた暗殺未遂事件でのことだった。だが必ずしも、命の危険に晒されたからというだけではない。それも大きな原因の一つではありつつ、一番の原因はアリシアだった。

当然のことではあるが、その時点まで彼は彼女のことをただの自社製品の一つとしか思っていなかった。何しろそこまでは彼女自身、ただのアリシアシリーズの一機でしかなく、もちろん<心のようなもの>も持っていなかったのだ。

しかし、千堂を守る為の戦いを続ける中で彼女は非常に強いストレスを感じていた。と言うのも、要人警護用の特殊仕様だったとはいえ彼女の主な役目は要人を守る為の<動く盾>でしかなく、場合によってはその場で破壊されることも厭わない使い捨ての道具でしかなかったのだ。にも拘らず彼女は、千堂を守り続ける為には自らも生き延びることを考えねばならず、彼を守って破壊される状況も想定しつつ自身のダメージも最小限にしなければならないという大きな矛盾に晒され続けたのである。

それに加え、ヘルパー機能を司る標準モードのアルゴリズムでは絶対に人間に危害を加えてはいけないとなっているにも拘わらず、要人警護の為に与えられた戦闘モードのアルゴリズムは例え襲撃者が人間であろうとも、保護対象者を守る為に必要であれば殺害すら躊躇せずに行うという、ロボットとしての姿勢の根幹の部分で決定的な矛盾を抱えていたのであった。

それでも、通常の使用であればそれが問題になることはなかった。要人を守る為に破壊されればそこで役目は終わるし、破壊されずとも状況が終了すればメンテナンスを受けてクリーンな状態に戻れるのだから。

だがあの時は、いつ状況が終了するのかも分からない中で標準モードと戦闘モードを頻繁に切り替え、戦闘中は標準モードはほぼ機能していないとは言え完全にシャットダウンされてる訳ではなかった為に倫理的な衝突が起こりそれによって処理出来ない不正なファイルが大量に発生、彼女のメモリーに蓄積されていったのだった。

しかもそれを除去する為のメンテナンスも長期間受けられなかったことで、さらには彼女が戦闘で破壊されず生き延びてしまったことで、彼女はついに規格品としては完全に<壊れて>しまったのだ。それが彼女の<心のようなもの>の正体であると、現時点では仮定されているのである。

だがそれが故に、千堂にとって彼女は特別な意味を持つ存在となったのも事実だった。戦闘時の故障によりデフォルトの笑顔のままで凄惨な戦闘を行う彼女に対して強い不快感も覚えた彼だったが、彼女の献身的な振る舞いにいつしか人間に対するそれと同じ共感も覚え、やがてそれは彼女の存在そのものを特別視するに至ったのである。

さりとて相手はただのロボット。吊り橋効果と呼ばれるものと同種の一時の気の迷いとも思われたその気持ちだったが、最後の戦闘で自分を逃がす為に自らを犠牲にしようとした彼女の振る舞いとその時に見せた表情は、決してロボットのそれではなかったと彼は今でも思っていた。だから彼は彼女に<心>があると強く確信したのだと言えた。そして彼女のことを特別な存在と思うようになったのだ。

とは言えその気持ちを何と表現していいのかは、彼にも分からない。恋と言うにはロマンティックでもなく、同情と言うには根が深い。他に適切な言葉が無いから仮にではあるが、やはり<愛>と呼ぶのが最も当てはまるのかも知れなかった。そしてそんな彼女を失ったと感じた時の絶望感は、幼い頃に森で迷って命の危機に晒された時以上のものだと彼は感じ、それまで誰にも見せたことが無い姿を見せてしまったのだった。

自分がこれから何十年生きるか知らないが、あれほどの醜態を晒すことはそう何度もあることじゃないだろうと千堂は思った。だがそれを恥じてはいない。彼にとって彼女にはそれだけの価値があるのだ。命を救ってもらった恩義とかいう諸々も含めて、彼女には返しきれない恩がある。だから今度は自分が彼女を守るのだ。まずは、JAPAN-2ジャパンセカンドに回収された際の、全機能初期化、ないしは徹底した調査の上での解体・廃棄処分という当面の危機から彼女を守ることが出来たことに、彼は安堵していた。

だがこれからまだ彼女の前には困難が待ち受けてるかも知れない。万が一、重大な事故でも起こせば解体・廃棄等の厳しい処分は免れないだろう。会社にも影響が出るかも知れない。それだけのものを自分が抱えていることを思えば、どれだけ気を引き締めても足りるということはない。

トレーニングで汗を流しながら彼は、そういうことを改めて自らに言い聞かせていた。

その一方で、上半身裸で黙々と汗を流す彼の姿を見るアリシアの表情は、恍惚としていると言ってもいいものだった。錬全れんぜん製作所で見た男性型のラブドールのある意味では整い過ぎて現実味が欠けるとも言える美しさとは違い、完璧とは言い難いもののだからこそ言葉には表しがたい別の美しさがあるように思えて、彼女はそれにただ見とれた。自分達ロボットでは決して辿り着けない、不完全であるが故の美しさとでも言うべきか。とにかく何かが違うのだ。

自分はロボットだが、これに人間の女性が惹かれるのは当たり前だと思えた。単純な身体能力では、戦闘モードさえ使えれば彼が自分に勝てる要素は万に一つもない。力も速さも動きの正確さも、生身の人間である彼では比べることさえ無意味だ。しかしそうではないのだ。この場合の美しさとは、魅力とは、そんなデータで表せる話ではないのである。

ロボットでありながら数値で表せる能力とは違う魅力というものを感じ取れるというのも、彼女の<心のようなもの>が本当に<心>と言えるものであるという証左ともなりそうだ。

「ふうーっ」

っと一呼吸入れて、彼はトレーニングを切り上げた。すかさずアリシアがタオルを差し出すとそれを受け取り、千堂は汗を拭きだす。その様子を眺める彼女の表情もまた、蕩けそうなくらいにうっとりとしたものだった。その様子だけを見ていれば本当に人間と変わらない。彼女がロボットだなどと、誰が信じるだろう。

部分クローニングにより自らの細胞で作った生体パーツを移植する方法も確立はされているもののそれは費用が高く、かつ時間もかかるので失われた身体を義体で補う方法がむしろ一般的であるこの時代、人工皮膚というだけでは人間かロボットかの区別の決定打にはならないからこそ、彼女の振る舞いを見ただけではロボットだと断定できる者はまずいないだろう。まあさすがに、アリシアシリーズはメイトギアとしては有名過ぎて、メイドやハウスキーパーをイメージした意匠を施されたボディデザインを見れば誰しもがアリシアシリーズだとは分かってしまうだろうが。

そう、余談になるが彼女の服に見える部分は外装パーツの一部であり、交換用のパーツとして別デザインのものがメーカーオプションとして用意されてはいるが、脱ぐことは出来ないのである。服に見える部分の内部にあるのはロボットとしてのフレームで、人間のような体が隠されてるのではないのだ。それをわざわざ人間そっくりに改造する為のパーツが、メーカーの承諾なく作られ流通してるというのが実情だ。

しかもアリシア2234-LMNの場合は、服に見える部分が防弾用の装甲とも言えるだろう。強靭なカーボンナノチューブを編み上げた防刃性・防弾性を持つ繊維と、弾丸や砲弾の運動エネルギーを奪う為の衝撃吸収材とを何重にも重ね合わせた、<柔軟な装甲>なのであった。

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