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痛みと反省
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『殴られたことで責任を取った気になって自分が楽になりたいからかな?』
「……」
その言葉が、自分の中の奥深いところにぐさりと刺さるのを結人は感じた。何故かは彼にも分からなかったが、それは痛みすら感じるものだった。
よく、自分の迂闊さのせいで誰かを傷付けてしまった時に使われるセリフがある。
『俺のことを殴ってくれ! でないと俺の気が済まない!!』
などというセリフだ。だがこれは、殴られることで許された気になりたい、自分が楽になりたいという甘えからくるものではないだろうか? 『殴られたんだからもういいよな?』って言いたくてそう言ってるのではないだろうか?
そう、結局のところ、自分が許されたい、楽になりたいというだけのことでしかない筈だ。自分がやってしまったことについて具体的に責任を取った訳では決してない。むしろそういうことから逃れる為の方便でしかないだろう。
だからこそ、山下達は、敢えて殴らないと言っているのだ。
殴っただけで済ませて彼に楽になってもらったりしない為にそう言っているのである。それはむしろ、厳しさだと言える。
『僕は君を殴っただけで許すつもりはない。自分のやってしまったことを、君はきちんと自ら反省するべきだ』
と言っているのだ。
山下達はなおも言う。
「結人くんは生まれてからずっと、たくさんたくさん殴られてきたって僕は聞いてる。だとしたら結人くんは、本当は殴られる痛みを知っている筈だよね。殴られたら痛いっていうことを知ってる筈だよね。じゃあもう今さら君を殴っても痛みなんか教えられる筈がないと僕は思う。僕が痛みを教える必要はないと思う。
僕が結人くんに知ってもらいたいと望むのは、自分が間違いを犯してしまった時に、誰が苦しむことになるのかっていうことだよ。
今度のことで苦しんでるのは誰かな? 沙奈子? ううん違う。この子は大した怪我もしなかったんだから平気だ。沙奈子が大きな怪我をしなかったんなら僕もそんなにショックじゃない。じゃあ、誰が一番、ショックを受けてる? 結人くんの身近な人で誰が一番苦しんでるのかな?」
そう言われて、結人は殆ど無意識のうちに視線を向けていた。
「……!」
その先にいたその人と目が合った。さっきまではすごく怒ったような目をしていたのに、今はものすごく悲しそうな、辛そうな目をしていた。今にも泣き出しそうな目をしていた。
織姫だった。織姫が泣きそうな顔で自分を見ていたのだ。
「……っ!」
そんな織姫の視線に、結人は思わず目を背けた。視線を合わせることができなかった。
それは彼がこれまで感じたことのない感覚だった。
……いや、一度だけある気がする。そうだ、あれは、修学旅行の時。中学生に絡まれて頭に血が上ったからといって山下沙奈子を突き飛ばしてしまった時だ。あの時に感じたそれに似ている。
罪悪感だ。
たまらない罪悪感が彼の心臓を鷲掴みにしているかのような感覚があった。
ただし、まだ、彼はそれを罪悪感だとは自覚していない。それが罪悪感であることを気付けば、彼はきっと多くのことに合点がいくだろう。山下達の言ってることが理解できるようになるだろう。だが、この時はまだ彼には理解できなかった。しかし同時に、どうしても無視できない、気にせずにいられないものだということだけは痛いほど感じたのだった。
『なんでそんな顔してるんだよ……』
織姫のそんな顔は見たくない。結人は素直にそう思った。だからどうすれば織姫がそんな顔をしなくなるのかということを考えた。だけど分からない。どうすればいいのかが分からない。分からなくて、つい、山下達を見てしまった。この中で唯一、その答えを教えてくれそうな気がしたのかも知れない。
『俺……』
それは、結人がこれまで見せたことのない表情だった。助けを求める幼い子供の顔そのものだった。実の母親に首を絞められて殺されそうになった時でさえその母親を嘲笑してみせた彼が初めて見せた子供らしいあどけない表情だった。
そんな結人に、達はフッと柔らかい表情をしてみせた。彼が救いを求めてることが分かってしまったからだろうか。彼がただの子供に戻れたことを感じたからだろうか。
「こういう時はやっぱり、『ごめんなさい』かな。それが一番確実だと思うよ」
『…やっぱりそうなのか。こういう時はそう言うべきなのか……?』
結人も思った。さすがにそれは頭によぎらない訳でもなかった。
ただ自信が持てなかったのだ。ここでもし『ごめんなさい』と言ったとしても、自分に向けられた非難の目が収まることがなかったらと思うと、怖くて言えなかったのである。
自分がごめんなさいと言っても許してもらえなかったとしたら、自分はここにいる人間達に対してもっと腹を立ててしまうだろう。恨んでしまうだろう。憎しみを膨らませてしまうだろう。そこまで具体的には思っていなかったとしても、それに近いことは直感的に感じてしまっていた。それが怖かったのだ。それこそ後戻りできないところに行ってしまうことになりそうで……
「……」
そういうことで頭が混乱して呆然としていた結人よりも先に、動いた者がいた。山下沙奈子だった。沙奈子は織姫の前に歩み出て、当たり前のように自然に深々と頭を下げた。
「私が余計なことをしてしまって鯨井くんが怒られることになってしまって、ごめんなさい」
少女の口から、滑るように謝罪の言葉が発せられた。それにはこの場にいた全ての人間が唖然とさせられていた。唯一、山下達を除いて。達には分かっていたからだ。沙奈子はこういう子だということが。
数瞬の間を置き、今度は織姫がハッとなって慌てた。
「あ……あ、いやいや、沙奈子ちゃんは悪くないから! これは結人が―――――…」
『結人が悪い』
そう言いかけて、織姫はその言葉を飲み込んだ。飲み込んで考えた。
『…待って…! 結人は本当に悪いの……?
結人は理由もなく自分から暴力を振るうような子じゃないよ…? 今までだってちゃんと理由があったじゃん……
じゃあ、今回、結人がこんなことをした理由は…?』
そこまで考えて、ハッと何かが頭をよぎる。
『…まさか、私を守ろうとして……?』
それに気付いた時、織姫の中で一瞬で合点がいってしまったのだった。
『自分がふらついて徳真さんにもたれかかってしまったのを、徳真さんに乱暴されそうになってるって結人が誤解してしまったんだとしたら……?』
その瞬間、彼女の目から涙が溢れた。
「―――――あ……!」
両手で顔を覆い、頭を下げるようにして体を丸めた。
「ごめん…! ごめんね結人…! 結人は私を守ろうとしてくれたんだね…! それなのに私……!」
そうだ。結人は自分を守ろうとしてくれていたのだ。
にも拘らず自分はそんな結人を責めるような目で見てしまった。彼を一番信じてあげるべきだった家族の筈の自分が彼を真っ先に責めてしまった。それに気付いてしまったのだった。
「お…り…ひめ……?」
自分の目の前で泣きじゃくる織姫を見た結人の中で、パキンッと何か音がした。
誰にも聞こえない、自分の耳にさえ届かない音だったが、確かに聞こえた気がした。そして。
「う……う、あ……あ…うあぁああぁぁああぁ~……!」
それは、結人の口から漏れた声だった。これまで彼が決して発してこなかった声だった。それと同時に、彼がこれまで決して他人に見せようとしてこなかった姿であった。
結人は泣いていた。大きな声を上げて泣いていた。
どんな大人に殴られても、実の母親に殺されそうになってでさえ絶対に見せなかった涙をボロボロと溢れさせて、本当に幼い小さな子供のように泣いていた。
悪いことをして大好きな人を困らせてしまってそれが申し訳なくて泣いてしまった子供の姿がそこにあったのだった。
「……」
その言葉が、自分の中の奥深いところにぐさりと刺さるのを結人は感じた。何故かは彼にも分からなかったが、それは痛みすら感じるものだった。
よく、自分の迂闊さのせいで誰かを傷付けてしまった時に使われるセリフがある。
『俺のことを殴ってくれ! でないと俺の気が済まない!!』
などというセリフだ。だがこれは、殴られることで許された気になりたい、自分が楽になりたいという甘えからくるものではないだろうか? 『殴られたんだからもういいよな?』って言いたくてそう言ってるのではないだろうか?
そう、結局のところ、自分が許されたい、楽になりたいというだけのことでしかない筈だ。自分がやってしまったことについて具体的に責任を取った訳では決してない。むしろそういうことから逃れる為の方便でしかないだろう。
だからこそ、山下達は、敢えて殴らないと言っているのだ。
殴っただけで済ませて彼に楽になってもらったりしない為にそう言っているのである。それはむしろ、厳しさだと言える。
『僕は君を殴っただけで許すつもりはない。自分のやってしまったことを、君はきちんと自ら反省するべきだ』
と言っているのだ。
山下達はなおも言う。
「結人くんは生まれてからずっと、たくさんたくさん殴られてきたって僕は聞いてる。だとしたら結人くんは、本当は殴られる痛みを知っている筈だよね。殴られたら痛いっていうことを知ってる筈だよね。じゃあもう今さら君を殴っても痛みなんか教えられる筈がないと僕は思う。僕が痛みを教える必要はないと思う。
僕が結人くんに知ってもらいたいと望むのは、自分が間違いを犯してしまった時に、誰が苦しむことになるのかっていうことだよ。
今度のことで苦しんでるのは誰かな? 沙奈子? ううん違う。この子は大した怪我もしなかったんだから平気だ。沙奈子が大きな怪我をしなかったんなら僕もそんなにショックじゃない。じゃあ、誰が一番、ショックを受けてる? 結人くんの身近な人で誰が一番苦しんでるのかな?」
そう言われて、結人は殆ど無意識のうちに視線を向けていた。
「……!」
その先にいたその人と目が合った。さっきまではすごく怒ったような目をしていたのに、今はものすごく悲しそうな、辛そうな目をしていた。今にも泣き出しそうな目をしていた。
織姫だった。織姫が泣きそうな顔で自分を見ていたのだ。
「……っ!」
そんな織姫の視線に、結人は思わず目を背けた。視線を合わせることができなかった。
それは彼がこれまで感じたことのない感覚だった。
……いや、一度だけある気がする。そうだ、あれは、修学旅行の時。中学生に絡まれて頭に血が上ったからといって山下沙奈子を突き飛ばしてしまった時だ。あの時に感じたそれに似ている。
罪悪感だ。
たまらない罪悪感が彼の心臓を鷲掴みにしているかのような感覚があった。
ただし、まだ、彼はそれを罪悪感だとは自覚していない。それが罪悪感であることを気付けば、彼はきっと多くのことに合点がいくだろう。山下達の言ってることが理解できるようになるだろう。だが、この時はまだ彼には理解できなかった。しかし同時に、どうしても無視できない、気にせずにいられないものだということだけは痛いほど感じたのだった。
『なんでそんな顔してるんだよ……』
織姫のそんな顔は見たくない。結人は素直にそう思った。だからどうすれば織姫がそんな顔をしなくなるのかということを考えた。だけど分からない。どうすればいいのかが分からない。分からなくて、つい、山下達を見てしまった。この中で唯一、その答えを教えてくれそうな気がしたのかも知れない。
『俺……』
それは、結人がこれまで見せたことのない表情だった。助けを求める幼い子供の顔そのものだった。実の母親に首を絞められて殺されそうになった時でさえその母親を嘲笑してみせた彼が初めて見せた子供らしいあどけない表情だった。
そんな結人に、達はフッと柔らかい表情をしてみせた。彼が救いを求めてることが分かってしまったからだろうか。彼がただの子供に戻れたことを感じたからだろうか。
「こういう時はやっぱり、『ごめんなさい』かな。それが一番確実だと思うよ」
『…やっぱりそうなのか。こういう時はそう言うべきなのか……?』
結人も思った。さすがにそれは頭によぎらない訳でもなかった。
ただ自信が持てなかったのだ。ここでもし『ごめんなさい』と言ったとしても、自分に向けられた非難の目が収まることがなかったらと思うと、怖くて言えなかったのである。
自分がごめんなさいと言っても許してもらえなかったとしたら、自分はここにいる人間達に対してもっと腹を立ててしまうだろう。恨んでしまうだろう。憎しみを膨らませてしまうだろう。そこまで具体的には思っていなかったとしても、それに近いことは直感的に感じてしまっていた。それが怖かったのだ。それこそ後戻りできないところに行ってしまうことになりそうで……
「……」
そういうことで頭が混乱して呆然としていた結人よりも先に、動いた者がいた。山下沙奈子だった。沙奈子は織姫の前に歩み出て、当たり前のように自然に深々と頭を下げた。
「私が余計なことをしてしまって鯨井くんが怒られることになってしまって、ごめんなさい」
少女の口から、滑るように謝罪の言葉が発せられた。それにはこの場にいた全ての人間が唖然とさせられていた。唯一、山下達を除いて。達には分かっていたからだ。沙奈子はこういう子だということが。
数瞬の間を置き、今度は織姫がハッとなって慌てた。
「あ……あ、いやいや、沙奈子ちゃんは悪くないから! これは結人が―――――…」
『結人が悪い』
そう言いかけて、織姫はその言葉を飲み込んだ。飲み込んで考えた。
『…待って…! 結人は本当に悪いの……?
結人は理由もなく自分から暴力を振るうような子じゃないよ…? 今までだってちゃんと理由があったじゃん……
じゃあ、今回、結人がこんなことをした理由は…?』
そこまで考えて、ハッと何かが頭をよぎる。
『…まさか、私を守ろうとして……?』
それに気付いた時、織姫の中で一瞬で合点がいってしまったのだった。
『自分がふらついて徳真さんにもたれかかってしまったのを、徳真さんに乱暴されそうになってるって結人が誤解してしまったんだとしたら……?』
その瞬間、彼女の目から涙が溢れた。
「―――――あ……!」
両手で顔を覆い、頭を下げるようにして体を丸めた。
「ごめん…! ごめんね結人…! 結人は私を守ろうとしてくれたんだね…! それなのに私……!」
そうだ。結人は自分を守ろうとしてくれていたのだ。
にも拘らず自分はそんな結人を責めるような目で見てしまった。彼を一番信じてあげるべきだった家族の筈の自分が彼を真っ先に責めてしまった。それに気付いてしまったのだった。
「お…り…ひめ……?」
自分の目の前で泣きじゃくる織姫を見た結人の中で、パキンッと何か音がした。
誰にも聞こえない、自分の耳にさえ届かない音だったが、確かに聞こえた気がした。そして。
「う……う、あ……あ…うあぁああぁぁああぁ~……!」
それは、結人の口から漏れた声だった。これまで彼が決して発してこなかった声だった。それと同時に、彼がこれまで決して他人に見せようとしてこなかった姿であった。
結人は泣いていた。大きな声を上げて泣いていた。
どんな大人に殴られても、実の母親に殺されそうになってでさえ絶対に見せなかった涙をボロボロと溢れさせて、本当に幼い小さな子供のように泣いていた。
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