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変化と新しい関係
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夏休みが終わり学校が始まったが、結人は落ち着いた表情をしていた。夏休みの宿題を余裕で終えられたからかも知れない。
とは言え、それは彼のことをよく知る人間が以前の彼と見比べてみればそのようにも感じ取れるというだけであって、よく知らない人間からすればやはり人相の悪い生意気そうな悪童にしか見えなかっただろうが。
しかし実際に、他人を睨み付けるような視線を向けることが減ったのは事実である。
ただ皮肉なことに、それが彼のことを『クールでかっこいい』と思っていた女子達の一部には不評だったようで、
「なんか、普通になっちゃったね、鯨井くん」
「うん。マジそれ」
などと口にしながらファンを辞める者が出始めたりしていた。まあ、これについては結人にしてみればむしろありがたかったものと思われる。
『煩いのが減ってくれんのはマジ助かる』
などという感じで。
それでも、すごくクラスに打ち解けたとか馴染んだとかいう感じではもちろんない。あくまで以前ほどは浮いた存在ではなくなったというだけだろう。愛想の悪さは相変わらずなのだから。
ただそれについても、沙奈子という、彼同様に愛想の悪い生徒が既にいたので、さほど問題ではなかった。愛想は悪くとも無駄に教師に反抗的だったりする訳でもない。
もっとも、彼がこの学校に来た当初から、学校側は結人を最も注視すべき児童の一人として注意深く見守ってきた。
「鯨井結人くんの様子は、安定してきてるようですね」
「はい」
職員会議でもそう触れられたりするように、彼の生い立ちは学校側にも明かされているし、数々の問題行動についても情報は入っている。もし彼が他の生徒に対して危害を及ぼしたり授業の進行を妨げるような可能性があるとなれば彼を隔離し、個別で指導を行う用意もあった。その為の担当教師も選任されていた。
この学校は、問題のある生徒を決して甘やかすような学校ではなかった。体罰は用いないが、いざとなれば文科省の指導要綱で許されているあらゆる指導方法を取る準備も覚悟もある学校だった。他の生徒に影響が出ないように問題のある生徒を隔離し指導することもその一つである。それによって来るであろう保護者側からのクレームを恐れ実際にはそれに踏み切れない学校も多い中、ここはそうではなかった。例え保護者と対立することになろうとも、現在の法的根拠を最大限駆使して対処する用意があったのだ。
が、実際には早い段階で対処するので、そこまで問題が大きくなることがないのだが。
さりとて、結人のように他の学校で問題を拗らせた果てに転校してくる生徒であれば最初からそこまでの対応を求められることもあり得ただろう。それは十分に想定の内であった。
にも拘らず実際の彼の様子は、学校にとっては想定を遥かに下回るものであったと言えた。
これについては、彼の保護者である鷲崎織姫が山下達と旧知の仲であったことがいい形で作用したと思われる。
今の彼に最も適切な人物である、山下達と山下沙奈子との関係があらかじめ構築されていたのだから。特に、山下沙奈子の存在は大きかった。
結人と近い境遇にありつつ、他の生徒とも大きな軋轢を生まずに適応できている彼女は、彼が今の環境に軟着陸する為の大きなクッションの役割をした。沙奈子本人はまったくそんなつもりはなかっただろうが、実際にそうだったのだ。彼女の境遇を知り一定の共感を覚えたことが彼の心理に大きな影響を与えたのは事実である。
結人は、非常に粗暴で大人や社会を心底憎んではいるが、知能は決して低くないし打算に依って自らの行動を律することができる狡猾さもある。だから彼にとって利になることを提示できさえすれば、彼は勝手に自制してくれるのだった。
幸いこの学校には彼と衝突して問題の火種になるような生徒がいなかった。そうならないように指導してきた。故に沙奈子のようなクッション役がいるだけで劇的に安定することができた。
綺麗事では子供は納得しない。特に結人のように大人を信じていない、強い敵愾心を内包した子供はむしろそういうものに反発する。大人の側が権威を振りかざし高圧的に出ても反発するだけで屈服はしない。むしろ余計に反抗心を拗らせるだけになるだろう。
『いつか俺が力を付けた時、お前らを皆殺しにしてやる…!』
それは、この学校に来る以前の彼が内に秘めていた想いである。
だがこの学校に来てからの彼は、いつの間にかそれをあまり考えないようになっていた。なにしろ、そうやって自らを奮い立たせなければならない状況がないのだ。
威圧的に彼を服従させようとする教師もおらず、暴力的な他の生徒もおらず、彼が生意気そうに睨み付けても受け流され、それどころかそういう様子を『カッコいい』とまで評されてしまう。こうなるともはや、彼一人が肩肘張ってムキになって周囲に牙を剥いているだけの独り相撲状態だった。そして結人はそんなことも気付かずにイキがり続けるほど愚かでもなかった。今はもう、彼が牙を剥くべき相手がいないのだ。
さりとて、生まれてこの方ずっと抱き続けてきた社会や大人への憎悪が簡単に雲散霧消するほど彼の境遇が甘いものでなかったことも事実である。
今は落ち着いていても、条件さえ揃えばまたすぐ以前の彼に逆戻りするだろう。比較的落ち着いている今のうちに彼が憎んでいる社会や大人だけがこの世の全てではないということを知ってもらう必要があった。
「おかえり、結人」
学校から帰ってきた彼をそう言って抱き締める織姫は、まさに『彼が憎んでいる社会や大人とは全く違う存在』の筆頭だった。
「暑苦しい! 触るなおデブ!!」
そう罵るものの、もはや彼のそれは空回りしているだけだった。
そんな結人の様子を織姫はむしろ、
「ふふ……♡」
と、嬉しそうに顔をほころばせながら見ていた。
それど同時に、織姫は、事ある毎に沙奈子に抱き締めてもらっていた。小学生の女の子に甘えるのは少し恥ずかしくもあったが、彼女に抱き締められるとモヤモヤしたものが消えてしまうのだ。少し前、仕事でちょっとしたミスをしてしまい気分が落ち込んだ時などには、
「沙奈子ちゃ~ん」
と泣きそうな顔で縋り付いたこともあった。そんな織姫を、沙奈子は、
「よしよし……」
と言いながら抱き締めてくれた。
本当は、山下達にそうしてもらえるのが一番嬉しかった気もするが、さすがに既婚者の彼にそれを求めるほど織姫も考え無しではなかった。それに、
『沙奈子ちゃんに抱き締められるのも、これはこれで捨てがたいし……』
と思えるほど、何物にも代えがたいものだった。
こうして、彼女から貰ったものを間接的に結人に引き渡しているような形になっていたのだった。
そう、結人は、織姫を通じて沙奈子に抱き締められているようなものと言えただろう。その姿は、この先の結人と沙奈子の関係を暗示していたのかも知れない。その橋渡しを、織姫がしてくれていたと言えた。もっとも、織姫本人はそこまで意識はしてなかっただろうが。
『まったく…なんだってんだよ……!』
結人はそんな状況に戸惑いつつもどうしてもそれを拒まなければいけない理由もなかったから、取り敢えずは織姫の好きにさせていた。ただしそれ自体、『織姫の好きにさせている』という体裁で彼自身がそれを甘受していたとも言える。素直にそれを認められないだけで。
そして、多少の賑やかしはありつつも平穏な毎日は過ぎていき、夏の日差しがようやく薄れ始めた頃、学校では修学旅行が明日に迫っていた。
『めんどくせ~』
そんな風に憮然とした様子の結人とは裏腹に、織姫は、
「~♪」
鼻歌さえ歌いながら楽しそうに彼の旅行の準備を整えている。まるで自分が行くかのようにウキウキとした様子だったが、
『なんたって、小学校最後の大きなイベントの一つだもんね…!』
と、楽しんできてほしいと思っていたのだ。
「結人、沙奈子ちゃんに迷惑掛けちゃダメだよ」
笑顔でそう言った織姫に対して、結人は、
「けっ!」
と不貞腐れた態度を見せたのだった。もっとも、
『もお、照れちゃって~♡』
織姫には単なる照れ隠しにしか見えなかったのだが。
とは言え、それは彼のことをよく知る人間が以前の彼と見比べてみればそのようにも感じ取れるというだけであって、よく知らない人間からすればやはり人相の悪い生意気そうな悪童にしか見えなかっただろうが。
しかし実際に、他人を睨み付けるような視線を向けることが減ったのは事実である。
ただ皮肉なことに、それが彼のことを『クールでかっこいい』と思っていた女子達の一部には不評だったようで、
「なんか、普通になっちゃったね、鯨井くん」
「うん。マジそれ」
などと口にしながらファンを辞める者が出始めたりしていた。まあ、これについては結人にしてみればむしろありがたかったものと思われる。
『煩いのが減ってくれんのはマジ助かる』
などという感じで。
それでも、すごくクラスに打ち解けたとか馴染んだとかいう感じではもちろんない。あくまで以前ほどは浮いた存在ではなくなったというだけだろう。愛想の悪さは相変わらずなのだから。
ただそれについても、沙奈子という、彼同様に愛想の悪い生徒が既にいたので、さほど問題ではなかった。愛想は悪くとも無駄に教師に反抗的だったりする訳でもない。
もっとも、彼がこの学校に来た当初から、学校側は結人を最も注視すべき児童の一人として注意深く見守ってきた。
「鯨井結人くんの様子は、安定してきてるようですね」
「はい」
職員会議でもそう触れられたりするように、彼の生い立ちは学校側にも明かされているし、数々の問題行動についても情報は入っている。もし彼が他の生徒に対して危害を及ぼしたり授業の進行を妨げるような可能性があるとなれば彼を隔離し、個別で指導を行う用意もあった。その為の担当教師も選任されていた。
この学校は、問題のある生徒を決して甘やかすような学校ではなかった。体罰は用いないが、いざとなれば文科省の指導要綱で許されているあらゆる指導方法を取る準備も覚悟もある学校だった。他の生徒に影響が出ないように問題のある生徒を隔離し指導することもその一つである。それによって来るであろう保護者側からのクレームを恐れ実際にはそれに踏み切れない学校も多い中、ここはそうではなかった。例え保護者と対立することになろうとも、現在の法的根拠を最大限駆使して対処する用意があったのだ。
が、実際には早い段階で対処するので、そこまで問題が大きくなることがないのだが。
さりとて、結人のように他の学校で問題を拗らせた果てに転校してくる生徒であれば最初からそこまでの対応を求められることもあり得ただろう。それは十分に想定の内であった。
にも拘らず実際の彼の様子は、学校にとっては想定を遥かに下回るものであったと言えた。
これについては、彼の保護者である鷲崎織姫が山下達と旧知の仲であったことがいい形で作用したと思われる。
今の彼に最も適切な人物である、山下達と山下沙奈子との関係があらかじめ構築されていたのだから。特に、山下沙奈子の存在は大きかった。
結人と近い境遇にありつつ、他の生徒とも大きな軋轢を生まずに適応できている彼女は、彼が今の環境に軟着陸する為の大きなクッションの役割をした。沙奈子本人はまったくそんなつもりはなかっただろうが、実際にそうだったのだ。彼女の境遇を知り一定の共感を覚えたことが彼の心理に大きな影響を与えたのは事実である。
結人は、非常に粗暴で大人や社会を心底憎んではいるが、知能は決して低くないし打算に依って自らの行動を律することができる狡猾さもある。だから彼にとって利になることを提示できさえすれば、彼は勝手に自制してくれるのだった。
幸いこの学校には彼と衝突して問題の火種になるような生徒がいなかった。そうならないように指導してきた。故に沙奈子のようなクッション役がいるだけで劇的に安定することができた。
綺麗事では子供は納得しない。特に結人のように大人を信じていない、強い敵愾心を内包した子供はむしろそういうものに反発する。大人の側が権威を振りかざし高圧的に出ても反発するだけで屈服はしない。むしろ余計に反抗心を拗らせるだけになるだろう。
『いつか俺が力を付けた時、お前らを皆殺しにしてやる…!』
それは、この学校に来る以前の彼が内に秘めていた想いである。
だがこの学校に来てからの彼は、いつの間にかそれをあまり考えないようになっていた。なにしろ、そうやって自らを奮い立たせなければならない状況がないのだ。
威圧的に彼を服従させようとする教師もおらず、暴力的な他の生徒もおらず、彼が生意気そうに睨み付けても受け流され、それどころかそういう様子を『カッコいい』とまで評されてしまう。こうなるともはや、彼一人が肩肘張ってムキになって周囲に牙を剥いているだけの独り相撲状態だった。そして結人はそんなことも気付かずにイキがり続けるほど愚かでもなかった。今はもう、彼が牙を剥くべき相手がいないのだ。
さりとて、生まれてこの方ずっと抱き続けてきた社会や大人への憎悪が簡単に雲散霧消するほど彼の境遇が甘いものでなかったことも事実である。
今は落ち着いていても、条件さえ揃えばまたすぐ以前の彼に逆戻りするだろう。比較的落ち着いている今のうちに彼が憎んでいる社会や大人だけがこの世の全てではないということを知ってもらう必要があった。
「おかえり、結人」
学校から帰ってきた彼をそう言って抱き締める織姫は、まさに『彼が憎んでいる社会や大人とは全く違う存在』の筆頭だった。
「暑苦しい! 触るなおデブ!!」
そう罵るものの、もはや彼のそれは空回りしているだけだった。
そんな結人の様子を織姫はむしろ、
「ふふ……♡」
と、嬉しそうに顔をほころばせながら見ていた。
それど同時に、織姫は、事ある毎に沙奈子に抱き締めてもらっていた。小学生の女の子に甘えるのは少し恥ずかしくもあったが、彼女に抱き締められるとモヤモヤしたものが消えてしまうのだ。少し前、仕事でちょっとしたミスをしてしまい気分が落ち込んだ時などには、
「沙奈子ちゃ~ん」
と泣きそうな顔で縋り付いたこともあった。そんな織姫を、沙奈子は、
「よしよし……」
と言いながら抱き締めてくれた。
本当は、山下達にそうしてもらえるのが一番嬉しかった気もするが、さすがに既婚者の彼にそれを求めるほど織姫も考え無しではなかった。それに、
『沙奈子ちゃんに抱き締められるのも、これはこれで捨てがたいし……』
と思えるほど、何物にも代えがたいものだった。
こうして、彼女から貰ったものを間接的に結人に引き渡しているような形になっていたのだった。
そう、結人は、織姫を通じて沙奈子に抱き締められているようなものと言えただろう。その姿は、この先の結人と沙奈子の関係を暗示していたのかも知れない。その橋渡しを、織姫がしてくれていたと言えた。もっとも、織姫本人はそこまで意識はしてなかっただろうが。
『まったく…なんだってんだよ……!』
結人はそんな状況に戸惑いつつもどうしてもそれを拒まなければいけない理由もなかったから、取り敢えずは織姫の好きにさせていた。ただしそれ自体、『織姫の好きにさせている』という体裁で彼自身がそれを甘受していたとも言える。素直にそれを認められないだけで。
そして、多少の賑やかしはありつつも平穏な毎日は過ぎていき、夏の日差しがようやく薄れ始めた頃、学校では修学旅行が明日に迫っていた。
『めんどくせ~』
そんな風に憮然とした様子の結人とは裏腹に、織姫は、
「~♪」
鼻歌さえ歌いながら楽しそうに彼の旅行の準備を整えている。まるで自分が行くかのようにウキウキとした様子だったが、
『なんたって、小学校最後の大きなイベントの一つだもんね…!』
と、楽しんできてほしいと思っていたのだ。
「結人、沙奈子ちゃんに迷惑掛けちゃダメだよ」
笑顔でそう言った織姫に対して、結人は、
「けっ!」
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