織姫と凶獣

京衛武百十

文字の大きさ
上 下
27 / 38

夏休みの課題と張り詰めた気持ち

しおりを挟む
山下達やましたいたるの転職が決まった頃、山下沙奈子やましたさなこの夏休みの宿題も終わっていた。

二日分の日記は、一つは家族で人形が展示されたギャラリーに行ったこと、もう一つは当然、海に行った時のことを書いた。そして彼女は自由課題として、人形用の服を三点、用意していた。

それらは非常に手の込んだつくりのドレスで、しかも女児用玩具の着せ替え人形ではなく、山下家の机の上にいつも座っている大きな人形に着せられるものだった。その人形は、一体二十万円以上する非常に高価なもので、母親の絵里奈から沙奈子に受け継がれたものだ。

山下沙奈子は料理の外に洋裁も得意で、小学六年生ながらその腕前は既に大人顔負けであった。時間があれば服作りをしており、今回の自由課題として提出するものも実際には夏休みに入る以前から作り始めていたものでもあった。さらには、学校への提出が終わって戻ってくれば、長女の玲那が管理するフリマサイトに出品することも決まっている。

長女の玲那は、事件の影響で再就職が上手くいかず、現在、絵里奈と沙奈子が作る人形の服を売るフリマサイトの管理を生業としている状態だった。とは言え、それはもはや素人の趣味のレベルを超え、既にネットショップと言っていいほどの売り上げを誇っているが。月によってはいたるや絵里奈の月収を超える純利益を上げることさえある為、確定申告を行う煩わしさが目下の悩みだったりさえする。

「うわ~、うわ~、すごい! これ全部、沙奈子ちゃんが作ったんですか!?」

いつもの如く山下家で夕食をいただいていた織姫が、自由課題として机の上に用意されていた人形用の服を見付けてもしやと思って達に尋ねたところ、娘の沙奈子が夏休みの自由課題として作ったものだと説明したことで感心して声を上げたのだった。ビデオ通話越しに見せてもらったことは以前からあったし、机の上の人形が着ているものも沙奈子作だと聞いて見ていたが、それよりもさらに進歩した出来栄えをこうして直に見て圧倒されたというのもあった。

「ショック~、料理だけでなく裁縫でまで完敗だ~…」

織姫も、ボタン付けくらいなら出来るのだが、明らかにそれとは次元の違う沙奈子の<作品>に、またしても打ちのめされるのを感じていた。

「でも、織姫さんのイラストもすごいじゃないですか。以前に見せてもらったイラスト、沙奈子も驚いてましたよ」

達のその言葉に少し励まされ、織姫は沙奈子を見た。すると沙奈子も大きく頷いた。正直、子供に気遣われたような気がして情けなさもないではなかったが、沙奈子の真摯な視線に救われたのもあった。

懸案だった依頼も無事にこなせた安堵感も手伝って、織姫は感極まって泣いてしまっていた。

「ありがとう、沙奈子ちゃん、嬉しいよ~」

するとその時、沙奈子が膝立ちになり、そっと織姫の体を包み込むようにして抱き締めた。

「…え?」

突然のそれに織姫も驚いた様子だったが、自分の体に回された少女の腕の優しさとぬくもりに、自分が魅了されていくのさえ感じてしまった。こんな小さな体の女の子なのに、それはとても大きくて深みを感じさせる抱擁だった。母親に抱かれている時に感じたもの以来の感覚だった。

『うそ……どうしてこんなに……』

織姫は戸惑った。<沙奈子ちゃん>がどんな境遇だったのかは聞かされていた。

世間を恨み他人を恨み大人を恨み、荒み切った心持ちで他人を傷付けようとしても何もおかしくない、そう、結人ゆうとと同じようになってしまっていても何もおかしくない筈の少女の器の大きさに、甘えて胸に顔をうずめたくなる気持ちにさえさせられていたのだった。

『これって、先輩がこの子を育ててたから…? 先輩がこの子の保護者だったから…?』

そんな風に思った瞬間、織姫の目からさらに涙が溢れた。それはさっきまでのものとは全く意味の違う涙だった。

『先輩は沙奈子ちゃんをこんなに優しい子に育てられてるのに、私は、私は結人のことを全然……!』

そう。山下達が育てている山下沙奈子に比べて、自分が面倒を見ている鯨井結人くじらいゆうとの荒んだ様子との差に、打ちのめされてしまったのである。

『どうしてこんなに違うの……? いったい何が私に足りなかったの……?』

様々な想いが一気に溢れ出してくる。

<沙奈子ちゃん>と結人の元々の性格の違いと言ってしまったらそれで終わってしまうのかも知れない。だが、織姫にはそれだけではないように感じられた。何かが決定的に違っているのだ。自分の接し方には根本的に何かが足りないと感じてしまい、それが悲しかったのだ。そして、結人に対して申し訳なかったのである。

『ごめん……ごめんね結人……私、ダメな保護者だったよね……』

自分の腕の中で泣きじゃくる、自分の倍ほどもありそうな体の大人の女性を、沙奈子はただ黙って抱き締め、小さな子をあやすようにその背中を優しくとんとんと触れていた。その姿は紛れもなく母性を感じさせるものだった。



織姫はこの時、自分のことを責めてしまっていたが、彼女は十分に頑張っていた。並の人間ならできないようなことをこれまでやってきたのだ。

生活費をもらってる訳でもない、養育費を出してもらってる訳でもない、血の繋がりなど全くない、中学の時に何となく親しかっただけの、友達というにも浅い関係でしかなかった女性の子供を引き取ってここまで育ててきたのだ。これだけのことができる人間などそうはいない筈だ。

確かに、彼女にはできないこともあっただろう。だが人間は完璧ではない。何でもかんでも一人でできる人間など存在しない。誰しも向き不向きがあって、できることとできないことがあるのだ。そして彼女は、彼女にできることはしっかりとやってきた。頑張ってきたのだ。それを恥じる必要も卑下する必要もまるでない。織姫は十分に努力してきたのである。

だからこそのこの出会いなのだ。彼女のこれまでの努力に報い、その上で彼女に足りなかった部分を補ってくれる存在として、彼女は山下達やましたいたると再会し、彼を通じてたくさんの人と出会えたのだ。山下沙奈子も、その一人なのだ。

今はただ、そのぬくもりに甘えればいい。これまで頑張ってきたことを正当に評価してくれているのだから。相手が小学六年生の女の子だとか、そんなことは関係ない。山下沙奈子には、鷲崎織姫を受け止められるだけの器があるのだから。

「ううぅ…ううぅうぅぅ……っ」

自分でも何でこうなったのか分からないままに泣いて、ひとしきり泣いて、織姫はようやく我に返った。

『やだ……私……!』

小学六年生の女の子に縋って子供みたいに泣いたことに気付いてしまって、慌てて涙を拭った。だがその顔は涙どころか鼻水まで溢れてて、ひどい有様であった。

「はい、顔を拭いて」

「ずびばぜん……っ」

山下達が差し出したフェイスタオルで顔を拭いた織姫は、しかしタオルから顔を上げることができなかった。

『う~……っ』

冷静になってしまってあまりにみっともない姿を見せてしまったことが恥ずかしくて恥ずかしくて、死にそうな気分だった。

同じような泣き顔なら、これまでいたるに相談した時にも見せたことがある。だが今回は相手が小学六年生の女の子だというのが大きく違っていた。

「なんで……私、なんでこんな…」

言葉すらうまく出てこない。しかし達と沙奈子は、そんな織姫を温かく見守っていた。

「いっぱい頑張って気を張ってきたんだね。それがふと緩んでしまったんだと思う。

でも、それでいいと思うよ。人間、時には気を緩めることも必要だって、僕は沙奈子や絵里奈や玲那を始めとした多くの人達から教わった。張り詰めてるだけじゃダメなんだって、それじゃもたないって、教わったんだ。

だから織姫さんも僕達に甘えてくれたらいい。織姫さんは十分に頑張ってるからね」

そう言われて、織姫はまた、フェイスタオルに顔をうずめたまま泣き出してしまった。

「ううう…うぅ~……っ!」

そんな様子を、結人はただ呆然と見詰めていたのだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

処理中です...